孤独と熱意が人間性を育む――米津玄師が宮﨑駿から受け取ったもの
『もののけ姫』に孤独を突きつけられた
小学1年生で『もののけ姫』を見た。 「言うまでもなくバイオレンスな暴力表現が満載の映画じゃないですか。腕が飛んだり、首が飛んだり、流血表現がある。他にも、病に冒された人たちが出てきたり、ある種、見てはいけないものを見ているんじゃないかみたいな、小学1年生の自分からするとトラウマになってもおかしくない、そういう体験だったんです」 「そういう『なんてものを見てしまったんだ』という感覚ってすごく大事な気がするんですよね。音楽を作る人間の視点として話しますけど、創作意欲の源泉というか、根っこにあるものは、そういうトラウマ的な体験から生まれるものだと思うんです。その衝撃から翻って、自分の輪郭を意識し出すような。今まで見てきたものと何が違うんだろうとか、これに衝撃を受けた自分ってなんなんだろうということを深く考え出す。そうすると、どんどん孤独に苛まれていくんです。それは決して悪い意味ではなく、人間性というものは、そういうところからしか育まれないんじゃないかと思うんですよ。人間性の本質って、孤独と熱意だと思うんです。孤独と熱意があるかどうかで、その人の円熟味が変わってくる。自分にとって『もののけ姫』は、勢いよくガツンと孤独を突きつける、そういう力を持った映画だったと思うし、この映画を見ていなければ今の自分はいないと思います」
漫画版『風の谷のナウシカ』も、米津の孤独を支えた作品の一つだ。 クライマックスの、墓所の主とナウシカの問答の場面。生命と自然をめぐって対立する。生命は光であり、闇をみだらで危険なものとみなす主に対し、ナウシカは「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ!」と応じる。子どもの頃の米津はこの言葉に救われ、その後、音楽を作っていく上での指針となった。 「18歳ぐらいからボーカロイドを通じてわりとたくさんの人に聴いてもらえるようになって、人に聴いてもらうってどういうことなんだろうとか、人に伝わるってどういうことなんだろうと、深く考え込んだ時期があったんです。そういう神経薄弱していた時に、一番の参照元になったのがジブリ映画であり、宮﨑駿という人でした。彼のインタビューが収録された書籍やドキュメンタリーを見ていくうちに、何かここに大切なものが詰まっているんじゃないかという、そういう予感があって、ごく当たり前に、自明なこととして私淑が始まっていった気がします。彼の言葉から叱咤激励を受けたし、かたや映画からは祝福を受け取ってきました」