なぜ40歳の松井大輔は横浜FCからベトナム1部サイゴンFCへの移籍を決断したのか?
華麗なドリブラーとして活躍し、日本代表がベスト16進出を果たした2010年の南アフリカワールドカップでは主軸を担った39歳のMF松井大輔が、ベトナム1部リーグ(Vリーグ1)のサイゴンFCへ完全移籍することが3日、所属するJ1の横浜FCから発表された。 京都市で生まれ育った松井は高校サッカー界の強豪・鹿児島実業から、2000シーズンに故郷のクラブである京都パープルサンガ(現京都サンガF.C.)へ加入。アテネ五輪出場直後の2004年9月に移籍したフランス2部のル・マンを皮切りに、ロシア、ブルガリア、ポーランドでプレー。Jリーグのジュビロ磐田と横浜FCを含めて、これまでに延べ12ものクラブに所属してきた。 来年5月には40歳になるなかで再び海外へ、それも日本人選手にとってほとんど馴染みのない東南アジアのベトナムへ挑むことを決意。波乱万丈に富んだ22年目のプロサッカー人生を、延べ13番目の所属クラブとなるサイゴンの一員としてスタートさせることになった。 ベテランの域に達して久しい39歳での海外挑戦は、28年目を迎えたJリーグの歴史のなかでも稀有と言っていい。何が松井を駆りたてて、背中を押しているのか。松井本人がこれまでに残してきた言葉を振り返ってみると、おのずと答えが浮かび上がってくる。 松井はポーランド1部リーグのレヒア・グダニスクから、2014シーズンにJ2を戦う磐田へ加入。3年目の2016シーズンにはJ1へ昇格したもののレギュラーをつかめず、続く2017シーズンのリーグ戦も夏場まで2度の先発を含めた7試合、わずか169分のプレー時間にとどまっていた。 日本から再びポーランドへ、それも2部のオドラ・オーポレへの完全移籍が決まったのは8月2日だった。当時の名波浩監督やフロントから「磐田で引退を」と慰留されながら、36歳での海外再挑戦を決めた理由を「厳しい環境に身を置きたい」と語った松井は、さらにこんな言葉を紡いでいる。 「この年齢での海外移籍は無謀と言われるかもしれませんが、挑戦すること、そして挫折することは自分の財産になると思っています。自分の道は誰も歩めない。前進あるのみです」 同じ構図が3年間所属した横浜FCから、サイゴンへの移籍を決めた今回にもあてはまる。横浜FCが13年ぶりにJ1へ挑んだ今シーズン。新型コロナウイルスによる長期中断から再開された、7月4日の北海道コンサドーレ札幌戦でけがを負ったことで戦線離脱を強いられた松井は、若手選手の台頭もあってここまでリーグ戦で先発1度を含めた3試合、83分のプレー時間に甘んじていた。