成熟し、悟りの境地の後に辿る運命……人類が滅亡する4つの理由を考える
生物の増加と減少のカーブはよく似ています。指数関数的な増加が、あるとき終わり、ピークを迎え、そのあとは指数関数的に減少する、というベル型のカーブです。もちろん、時間スパンと絶対数は異なりますが。 インフルエンザなどの大流行はなぜ収束するのでしょうか。季節などの環境要因の変化や、既に媒介となる健康な人が少なくなってしまったことなど、いろいろな理由があるでしょうが、簡単にいうと、要するに「生き延びにくくなったから」です。日本の人口減少も、養育費がかさむことを懸念する人が増え、子供を育てることに意義を見出す人が減ったことの結果でしょうから、要するに「生き延びにくくなったから」です。 上述の1(環境破壊・パンデミック)、2(世界戦争)、3(シンギュラリティー)も同様です。「地球環境が生きにくくなったこと」「敵対関係が過酷になって生きにくくなったこと」「AIに比べて生きにくくなったこと」です。特に3は、自分よりも高度な種が出現した結果として淘汰されてしまうという意味では、ネアンデルタール人の滅亡と似ているといえるかもしれません。 図2を見ていると、どの生物も、栄華の後に滅びてゆく運命をたどらざるをえないのではないかという思いがしませんか。人間の一生や、大国の興亡、企業の盛衰にも似ています。おごれる者久しからず。ただ春の夜の夢の如し。諸行無常です。
老化とは子供に戻ることにも見える
4つめの「老化と悟り」とは、生物や国家や会社の一生と同じく、人類の盛衰も「生老病死」をたどるのではないかという推測に基づいています。人類という種も長く続き、時代に合わなくなってきたのでそろそろ滅亡に向かうのではないか、という考えです。 この連載の第3回目には、人類は、2500年かけて成長し進歩したと思っていたら、実は2500年前と大して違わなかった、ということについて書きました。 人間が老化して体と心の機能が衰えていく様子は、子供に戻ることであるようにも見えます。老化が進むと、幼児のように歩く姿がたどたどしくなり、乳児のように考えることが単純化していきます。 したがって、人口減少社会とは人類が成熟し、老化していくこと、と考えることもできそうです。だとすると、老化の先に死があることを連想するのは私だけではないでしょう。 十牛図を見ると、悟りの境地は純朴な子供に似ている面があります。人類は考え、成長し、ピークアウトし、減少し、文化的には成熟しつつ、紀元前5世紀のような老年的・超越的な生き方をした後に死を迎えるという運命を辿っているのかもしれません。 そうなりたくなかったら、若返ることでしょうね。イノベーションを起こし、新たな目標を見つける。生き残る企業は、新規事業に乗り移ることによって脱皮します。人類も、新たに生き生きワクワクする生き方を見つけることができれば、人口減少も予想ほど進まず、豊かかつサステナブルに生き続けることができるのかもしれません。 ※次回は4/30ごろ掲載予定です。