「7歳までは神のうち」 明治中期、農村で大人になれた子どもは10人中7人
自然に囲まれ、澄み切った空気、そして新鮮で栄養価の高い、おいしい野菜が手に入る、農村は今や都会に暮らす人々の憧れとなっています。子どもを自然のなかでのびのびと育てたい、退職後は農村に移住したいと考える人たちも増えています。 【連載】古写真で知る幕末・明治の日本 この彩色された古写真(こしゃしん)は明治中期の農村に住む子どもたちを撮影したものです。当時はさまざまな理由から、成人になるまでに命を落とす人も多かったといいます。生きていくことに精一杯だった時代の出産、子育て、医療事情について、大阪学院大学経済学部教授 森田健司さんが解説します。
農村での暮らしもまた厳しい
江戸時代、都市に生きる庶民にとって最大の脅威となったもの。それは間違いなく、火事だった。特に、江戸のように人口が集中し、木造住宅がビッシリ立ち並んだ町では、必然的に一度の火事で数多くの命が失われる結果を招いた。 そして、都市部の人々が次に恐れたのが、感染症である。麻疹(はしか)のような流行病が発生してしまうと、人口過密地帯においては、次から次に伝染していく。また、有効な治療方法もないため、治るか治らないかは本人の体力のみにかかっていた。 江戸時代の日本の人口は、初期と末期を除くと約3000万人で安定していた。この理由として、前回の記事においては、「都市部で次から次に人が死んでいたこと」を挙げた。ただし、もちろんこれが唯一の理由ではない。ほかにもいくつか、人口増加を抑制する大きな原因があった。そこで、今回は「乳幼児期の死亡率」と、「出産時の女性の死亡率」の二つを取り上げたい。 冒頭に示したのは、明治時代中期の農村で撮影された手彩色写真である。多くの子どもたちが、思い思いの表情で写っている。しかし、この子どもたちの中で、成人になるまで生きられたのは、どの程度だろうか。多めに見積もっても、10人中7人だろう。残酷な現実である。 都市部は都市部で固有の問題を抱えていたが、だからといって農村部が生きやすい場所であるとも言えなかった。江戸時代、及び明治時代中期頃まで、どこで生きようとも、医療水準の低さという問題が人の生に付随していた。