「7歳までは神のうち」 明治中期、農村で大人になれた子どもは10人中7人
出産という一大事
前回の記事では、江戸時代の中・後期、濃尾地方の農村における女性の平均出産数は約5.8人ほどだった、という研究結果も紹介した(速水融ほか編『歴史人口学のフロンティア』)。この数字を見ると、当時の女性は「現代人より頑強だった」ような印象を受けるかも知れない。しかし、実態はそう甘くない。 同時期の同地方における年齢別の死亡率を見ていくと、ある年代において、女性の死亡率が男性のそれを大きく上回っていることに気づく。その年代とは、20代~40代前半である。特に、20代後半の女性の死亡率は、なんと10パーセントを超えている(鬼頭宏『人口から読む日本の歴史』)。 この理由は、あえて説明するまでもない。出産に関連して、死亡しているのである。先ほどのデータから言えば、20代後半の女性のうち、10人に1人以上が出産の際、あるいはそのすぐ後で、命を落としているということになる。出産数約5.8人という数字の背後に、これほど厳しい現実があったことも知っておく必要があるだろう。 農村から都市に奉公に出た男性たちは、相当な割合で、家庭を持つこともなく亡くなった。また、農村に暮らす多くの女性は、出産の際に身体に多大なダメージをこうむり、若くして死亡することも珍しくなかった。更には、乳幼児期で人生が終わっている赤子たちもたくさんいたのである。 ならば、江戸時代は「絶望の時代」だったのだろうか。そして、そこから大して状況の好転していない明治時代の中期頃まで、ずっと人々はつらい人生を歩んでいたのだろうか。おそらく、それは正しくない。例えば、このようなことを考えてみればよいだろう。 これから100年ほども経過すれば、現在は不治の病と言われている病気の多くも、治療法が見つかっているはずだ。その未来に生きる人々が21世紀の日本を眺めて、「こんな病気で命を奪われる時代は、きっと不幸だったに違いない」と言ったとき、我々はこう反論するだろう。「大変なことも多いけれど、決して絶望的な時代だとは思わない」と。 もう一度、初めに掲げた写真の「子どもたちの表情」を見てもらいたい。果たしてこの子たちは、現代の同年代の子たちより、不幸そうな顔をしているだろうか。人の幸福度というものは、単純に科学技術の進展に比例するようなものではないのである。 (大阪学院大学経済学部教授 森田健司)