「帰りたい」「帰れない」――原発事故で全町民の避難が続く双葉町 帰還への期待と苦悩 #知り続ける
新しい家での生活は5年目を迎えた。避難を機に家族がバラバラになる被災者もいるが、「そこは幸運だと思ってる。みんなで一緒に暮らせることはありがたいです」。 その一方で、今でも数カ月に一度はまだ解体されていない双葉の自宅を訪れる。帰るたびに「ここには何があったかな……」と感じるほど次々と建物がなくなっている。変わりゆく町の姿に寂しさも感じている。 半谷さんの大きな支えになっているのは、避難している人たちとの交流だ。毎月1回、栃木県内で暮らす双葉などからの避難者とお茶会を開いている。震災前から保存会会長として携わってきた地元の民俗芸能「前沢女宝財踊」は、年数回さまざまな場所で披露している。いずれも友達と会える貴重な機会で、故郷とのつながりとなって心を保てているという。 「双葉には戻れないけどね、双葉の友達と会えることが楽しみなんだよ」
町の復興への取り組み
福島第一原発から半径20キロ圏内にある双葉町は東日本大震災の翌日、全域に避難指示が出された。全域の避難指示は、富岡町や浪江町、飯舘村などほかの5町村にも出された。 2013年には双葉町の面積の約96%が帰還困難区域に、約4%が避難指示解除準備区域となった。15年以降、環境省の本格的な除染が進み、まず20年3月に約4%の地域の避難指示が解除されたが、居住までは認められなかった。
一方、帰還困難区域のうち、大沼さんや細沢さんらの自宅周辺が復興拠点となり、町は今年6月以降に避難指示を解除することを目指している。すでに自宅を解体した人も戻れるように、町は総事業費187億円をかけて双葉駅西側の23ヘクタールの土地に公営住宅(86戸)を建てる予定だ。早ければ10月にも一部の入居ができるという。 駅前には役場の仮設庁舎も建設中で、約100人が働くいわき市の仮庁舎機能を8月末に移す。役場と公営住宅を駅前につくり、コンパクトに一体化させ、利便性を高めようとしている。