夫との死別、10年の空白を経て――「葛藤をさらけ出して進む」Awichの覚悟
日本のヒップホップシーンを牽引する沖縄出身のラッパー、Awich(37)。10代から音楽活動を始め、アメリカへ。21歳で結婚、出産したが、夫を銃弾によって亡くす。シングルマザーとして娘を育てながら、約10年の空白期間を経てブレーク。「ヒップホップの女王」と呼ばれる。沖縄への思い、アメリカで直面した貧困、夫の死、娘との歩み――。2時間半におよぶインタビューで、紆余曲折を経た自身の道のりを見つめた。(文中敬称略/撮影:倭田宏樹/Yahoo!ニュース オリジナル RED Chair編集部)
3歳の娘に伝えた夫の死
「お父さんの肉体が、もうない。だから抱きしめることも手をつなぐこともできないし、声も出せない。それが死ぬっていうこと。なんでそうなったのかも、私たちにとってどういう意味があるのかも、まだ分からない」 夫が亡くなったのは、娘の鳴響美(とよみ)が3歳の頃。娘に説明した時のことを語ると、涙があふれた。 「鳴響美は最初きょとんとしてて。火葬した後も、一晩寝て起きたら『ダディは?』と言ったりするから、『昨日話したこと覚えてる? もういないんだよ』。『ああそっか、嫌だ』って泣き始める。それを何回も何日もやりました」 娘は現在15歳になり、Yomi Jahの名で共にステージに立つ。
「(夫には)『やってるよ』と言いたいです。音楽も、娘を育てることも、言葉を紡ぐことも。私は私の命を全うする。それをお手本として、娘に見せるということをやってるよって」 自身がラッパーを名乗ったのは14歳の時だった。20歳の妊娠でキャリアが断たれ、その後10年近く、なりわいとすることはあきらめていた。 「ヒップホップは声なき者の声。70年代に生まれた、黒人が自分たちの生活を伝えるための手段で。いろいろなスタイルがあるけど、私が魅了されたのは、ストーリーを伝えられるところです。私たちの故郷やグループ、私ってこういうもんだよ、って。苦しみや悲しみ、葛藤を、人生の1ページとして記すことができる。自分の人生の出来事を認めて、それを表現して、さらけ出して進むよ、という勇気が共感を得るんだなと今は思います」