夫との死別、10年の空白を経て――「葛藤をさらけ出して進む」Awichの覚悟
米軍基地と沖縄アクターズスクールに憧れた
幼い時から戦争の話をよく聞いた。真珠湾攻撃の日に生まれた父は、戦後の貧しさを生き抜いた。 「物がなくて、素麺を1日1本食べる生活だったそうで。素麺を見ると泣くんですよ。『この束がなあ……家族みんなで1週間分なんだよ』って。おじいちゃんは沖縄戦で戦ったので、戦時中、お墓で骨と一緒に隠れたとか、戦後は『戦果アギヤー』というんですけど、米軍基地で物資を盗んでコミュニティーに配ったとか、そういう話を聞いていました」 身近にある米軍基地に、物心つく頃から憧れた。 「危険な場所だと言われるんですけど、アメリカ人は自由に行き来していて、子どもたちもいる。中を見ると、遊具だってあるし、アイスクリームもピザもなんじゃこりゃってくらいデカくて。自分たちがやっちゃいけないことをできる、アメリカの子どもたちに大きな憧れを抱いていましたね」
小学4年生の時、基地内の英会話教室に通い始める。米兵と結婚した韓国人女性に習い、その子どもたちが聴く洋楽を覚えた。同じ頃、時代を席巻していたのが、安室奈美恵やSPEEDだ。 「沖縄アクターズスクールにめっちゃ入りたかったです。でも、親が大反対して。お父さんから『就職して結婚して、普通の幸せを追いかけなさい』と。『普通って何?』と反発すると、『口答えするな!』という感じで。もう、超体育会系なんで」 父は教師で、テニスの熱血コーチ。多い時は家に8人の男子生徒が下宿していた。にぎやかな日々のなか、夜はひとり眠れなかった。「なんで私は生きているんだろう」「人間って何なんだろう」と思い悩み、浮かぶ言葉を紙に綴った。やがてリズムに乗せて刻むこと、韻を踏むことを知り、これがラップになっていく。突き動かしたのは、ヒップホップのレジェンド、2Pacだ。 「従姉妹がCD屋さんに連れてってくれて、1枚ゲットしていいよ、と。目をつぶって取り出したのが、2Pacの『All Eyez on Me』。今までに聴いたことない、体が揺れるような音だった。歌い方も、ささやくようだったり、シャウトするようだったり、話してるみたいだったり。めちゃくちゃかっこいいなと思って。2Pacを猛勉強して、完コピしました」