夫との死別、10年の空白を経て――「葛藤をさらけ出して進む」Awichの覚悟
14歳の時、英会話の先生から紹介されたレコードショップ兼プロダクションで、初めてラップを披露した。イベントやアルバムに声がかかるようになり、自分でラッパー名を決めた。 「本名の亜希子を英語に直して、Asia wish child。それをキュッとして、“Awich”」
日本ではアウトサイダーだというコンプレックス
高校に入ると、アメリカ・ミズーリ州に1年留学した。 「虚勢を張って、『I’m a Japanese rapper』と全員に言ってました。『ジャパンにラップなんて存在するの?』と言われて、日本語でラップするよって。実際やると、『全然意味分かんねー』みたいになって、相手にされない」 高校卒業後は初めてミニアルバムを発表し、再びアメリカへ。ヒップホップが盛り上がるアトランタに住み、現ジョージア州立大学のペリメーター校で学んだ。 「日本っていう国に、絶対受け入れられないという不安が根底にあったと思う。日本人にとって、自分はアウトサイダーだというコンプレックス。沖縄に生まれて、訛っているし文化も違う。日本怖いって思ってました。高校でアメリカに行った時にホームだと思ったし、引っ張られるようにアメリカって感じでしたね」 両親は「勉強するなら」と費用を出したが、留学中に結婚、出産することになる。 「大反対されました。もうサポートしないと言われましたね。でも、やっぱり結婚したいし、子どもも産みたいって」
相手は14歳年上の黒人男性。通学途中に声をかけられ、車で学校へ送ってもらったことをきっかけにつき合い始めた。 「背はそんなに高くなくて、だけど態度がめっちゃデカい。声も超デカい。カリスマを持った人で、友達もめちゃくちゃ多かった。私が描いたタトゥーのデザインを見せたら、分析する語彙力がすごくて。そんな人、会ったことなかった。ラップしなさいと言われて、いつも試されてた。書いた曲を分析してくれて、才能があるからやめんなよって」 彼はアトランタに移り住む前、ニューヨークの刑務所に8年入っていた。 「もう恋に落ちた後に、だんだん何かやばいかも、やばい人だ、と思い始めましたね。でも、その境遇を生き抜いてきたことが、すごい歴史を背負った人だなって。いろんな話を聞けば聞くほど、今生きているのが不思議で。そばにいてあげたいと思ったし、変われるきっかけに私がなるんじゃないかなって」