「不登校はおまえのせいだ」育児傍観者の夫に責められ…追い込まれたワンオペ母の苦境
傍観者の夫と長男に責められる
5月のゴールデンウイーク最後の日。一緒に浴槽につかっていたら、リラックスしたのか「ぼく、明日からもう学校行けへん」とぽつりと言った。ミノリさんは「それやったら、もう無理していかんでいいよ」と答えた。湯気の向こうに、ホッと安心したような息子の顔が見えた。 「もうさすがに私自身も疲れていました」とミノリさんは振り返る。野球チームで暴言を浴びたり、ひとりだけ上級生チームに入れられるなど苦しい環境があったうえ、学校での友達関係の辛さが負担になった。これに、仕事をしながらナオキくんのケアをしなくてはいけない母のストレスが、影響を与えていたようだ。 「学校に無理やり連れて行こうとしていました。朝泣いてる子どもの手を引っ張って連れて行こうとしたり、車に乗せて連れて行こうとしたりもした。本当にあかん親やったと思います」 そう言ってうなだれるミノリさん、実はたったひとりで息子の不登校と向き合っていた。夫は家事育児を一切手伝わないワンオペ傍観者だった。苦悩する妻に対し「学校に行けんようになったんは、おまえが構い過ぎやからや!」と責めた。3つ上の長男も「ナオキの寝坊はお母さんが甘やかすからや!」と夫とそっくりな口調で母であるミノリさんを責めた。 長男は、勉強も、スポーツも頑張る、不登校とは縁のない子どもだった。同じ小学校に通っているとき、弟が休めば連絡帳を持って行くのは兄の役目だ。そのため「他の先生から僕はどう見られてるんやろう?」と常に周りの目を気にした。 「針のむしろでした」 しかし、母の苦境はさらに続いた。仕事があるためナオキくんには家でひとりで過ごしてもらうしかない。昼食を作っておいていくなどしたが、ほどなくしてナオキくんから「仕事とオレとどっちが大事なん?」と顔をのぞきこまれ絶句した。
夫を連れて池添先生のところへ
「これあかんわと思いました」 もうひとりにできないと、事情を伝えて勤務時間を減らしてもらった。そんなとき、休んでいた野球チームにいる怖い監督以外のコーチが「うちの子が不登校になったときお世話になったんやけど、一度相談に行ったらどうや」と言って、池添さんのことを教えてくれた。 それが12月。学校に行けなくなってから半年が過ぎていた。フリースクールも試したがナオキくんに合わず、途方に暮れていた母にとって「藁をもつかむ気持ち」(ミノリさん)だった。何とか夫を説き伏せて一緒に連れて行った。 ――とにかく待ちなさい。子どもが自分で動くのを待ちなさい。ナオキくんの好きなものを買ってあげなさい。好きなところに行かせてあげて、好きなことをやらせてあげなさい―― この言葉を真っ先に言われた。さらに3年生のときに受けた発達検査で「グレーゾーン」と言われたこと、「感受性豊かで敏感」とも指摘されたことを伝えたら、こう言われた。 ――感覚過敏の子どもの特性として、不安や緊張が高まるとそうなりやすい。でも、年齢とともに緩和されていく。そして、いずれそれが消えるときが必ず来るよ。そのためには、親がどんと構えることや。親のほうが不安にならないことが大切なんよ―― 「子どもが自分で動くのを待ちなさい」 「子どもの好きにさせなさい」 「親はどんと構えろ」 これらのアドバイスを夫は黙って聞いていた。そのひとつである「好きにさせなさい」は、妻であるミノリさんに命じた「甘やかせるな」とは真逆の行為だ。 このこと、お連れ合いさんはどう理解したんですか? ミノリさんとはどんな話し合いになったんでしょう? そう問いかけると、ミノリさんはつらそうに口を開いた。 後編【不登校の息子に「やったらあかんことをやってしまった」ワンオペ母の目が覚めた “厳しい言葉”】は、子どもに「一番やってはいけないこと」をやってしまったミノリさんの失敗とそこからの変化について。傍観者を貫く夫に相談できないミノリさんを救ったのは担任の先生と池添さんの言葉だった。
島沢 優子(ジャーナリスト)