長寿研究のいまを知る(13)ダイレクトリプログラミング研究を一変させた転写因子カクテル
従来、受精卵がさまざまな臓器や組織に分化していく過程は一方向であり、一度分化した細胞は元の未分化の細胞には戻れないとされてきた。しかし、近年の研究により、さまざまな細胞を特定の機能を持つ細胞に変化させる仕組みには「転写制御」が重要な役割を果たしていることがわかってきた。 ワインには老化抑制で注目の「抗糖化作用」がある 同志社女子大薬学部教授が研究結果を発表 まず、転写について説明する。私たちの体は、DNAに刻まれた約2万個の遺伝子の情報をもとに、約10万種類以上のタンパク質を作ることでできている。タンパク質を作るには、まずDNAの二重らせん構造がほどかれ、RNAポリメラーゼと呼ばれる酵素が片側の鎖を読み取ってメッセンジャーRNA(mRNA)前駆体を合成する。この過程を「転写」と呼ぶ。 次に、mRNA前駆体から遺伝情報に関係しない部分(イントロン)が除去され、必要な部分(エクソン)がつなぎ合わされて完成したmRNAができる。これを「スプライシング」と呼ぶ。 mRNAは細胞核から細胞質に移動し、タンパク質を作るリボソームに付着し、遺伝情報に従ってアミノ酸を結合させ、タンパク質を作る。この過程を「翻訳」といい、遺伝情報がDNAからRNAを経てタンパク質へと伝達される一連の流れを「セントラルドグマ」と呼ぶ。 転写は、細胞がタンパク質を作るための重要なステップであり、ここでの転写制御が崩れると、細胞は異常な分化を起こしてがんや奇形を生じることがある。転写制御の中心にあるのが「転写因子」と呼ばれるタンパク質で、特定のDNA配列に結合して遺伝情報の転写を調整し、細胞の働きを制御する。iPS細胞の作製に使われる4つの因子もすべて転写因子であり、分化した細胞を未分化の幹細胞に戻す役割を果たしている。 ■神経細胞や心筋細胞の誘導も実現 「ダイレクトリプログラミング」の歴史は古く、1987年にはマウスの線維芽細胞にMyoDと呼ばれる1種類の転写因子を導入すると骨格筋細胞に転換されることが報告され、これが世界初のダイレクトリプログラミングとされている。しかし、その後しばらくは単独の転写因子で細胞の運命を変えることが難しく、研究は停滞していた。 それを変えたのが2006年に京都大学の山中伸弥教授が行った研究だ。 山中教授のグループは、ES細胞に発現する4つの転写因子(Oct4、Sox2、Klf4、c-Myc)をマウス由来の体細胞に導入して、iPS細胞の生成に成功し、その後の細胞種変換研究が一気に進展した。 08年には膵臓の外分泌細胞からインスリンを産生する細胞や線維芽細胞からマクロファージ様細胞への誘導が成功し、10年には神経細胞や心筋細胞の誘導が実現した。 同じ年には、筑波大学の研究チームがGata4、Mef2c、Tbx5(GMT)という3つの因子を使って、線維芽細胞から拍動する心筋細胞を、世界で初めて誘導することに成功している。 ハーバード大学医学部&ソルボンヌ大学医学部客員教授の根来秀行医師が言う。 「心臓病は日本における死因の第2位です。心臓の心筋細胞は増殖しないため、心筋梗塞や心不全などで壊死した部分は心筋線維芽細胞に置き換えられ、収縮機能が失われてしまいます。そのため、ES細胞やiPS細胞から作られた心筋細胞を使った再生医療が期待されていましたが、コストが高額であることや、未分化細胞の混入による腫瘍形成リスク、さらに生着率の悪さといった課題もあります。こうした背景から、ダイレクトリプログラミングが新たな治療法として注目されているのです」