「モテた偉人・恋に奔放だった偉人ランキング」トップ3、個性的すぎる日本史人物の意外な恋愛エピソード
■ 稀代のモテ男、土方歳三(「モテる」ランキング1位) いやいや、実物と違いすぎでしょ! そうツッコミたくなるほど、歴史人物がキャラクターとして美化されることが最近は多いが、新選組の副長、土方歳三は残された写真からしても正真正銘のイケメンである。 親子で本人をよく知る八木為三郎は、土方について次のように語った。 「土方は役者のような男だとよく父が云いました。真黒い髪でこれがふさふさとしていて、目がぱっちりして、引き締まった顔でした」 ルックスが良いからといってモテるとは限らないが、土方の場合はモテまくっていた。少年時代に早くも、女性トラブルで奉公先を追い出されたこともあったくらいだ。 とりわけ新選組の副長をしていた頃は、絶頂のモテ期だった。名主・小島鹿之助に「京都に北野、北新地とあちこちの場所でモテまくって困った……」と手紙を書いて、自身のモテぶりを披露している。新選組の規律を厳しく守らせた「鬼の副長」らしからぬモテ自慢に、相手も苦笑したことだろう。こんな歌まで残している。 「報国の 心を忘るる 婦人哉」 (モテ過ぎて、国から受けた恩に報いることを、忘れてしまいそう)
■ 心中未遂事件を起こしたトラブルメーカー、平塚らいてう(「恋に奔放」ランキング3位) 平塚らいてうは22歳のときに、4歳年上の森田草平と心中未遂事件を起こして、結婚も仕事もままならなくなった。時間を持て余したので、声をかけられるままに、創刊を控えた『青踏』に参加。らいてうが書いた「創刊の辞」が、名フレーズとしてブレイクする。 「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である」 「新しい女」と注目されて評論家・思想家として活躍した、らいてう。その後、年下の奥村博史という画家と恋に落ちて、婚姻手続きを踏まない共同生活が話題となる。年下の男性を指す流行語「若いツバメ」が生まれた。