「モテた偉人・恋に奔放だった偉人ランキング」トップ3、個性的すぎる日本史人物の意外な恋愛エピソード
恋愛事情や恋愛観は人ぞれぞれで、意外な素顔が垣間見られることもよくあることだ。歴史に名を残す偉人たちもまた、私たちと同じように恋に落ちては幸福の絶頂に至ったり、はたまた失意のどん底に突き落とされたりしていた。「モテモテだった偉人」「恋に奔放だった偉人」たちの恋愛エピソードを紹介する。(JBpress編集部) 【写真】藤原道長をぎゃふんと言わせた歌人、徳川家康も惚れた家臣ほか (*)本稿は『ひょんな偉人ランキング─たまげた日本史』(真山知幸著/さくら舎)の一部を抜粋・再編集したものです。 ■ 凍死するほど君が好き、小野小町(「モテる」ランキング3位) 楊貴妃、クレオパトラに並んで「世界三大美女」の一人とされている平安時代前期の女流歌人・小野小町だが、実際に美人だったかどうかはわかっていない。 しかし、小野小町が多くの男性にモテたのは確からしい。中でも小野小町に夢中になった深草少将は「百夜通い伝説」を残した人物として知られている。恋文を送るも相手にしてもらえないでいると、小野小町はこんなことを言い出したという。 「百夜訪ねて来てくれたなら、お心に従いましょう」 3カ月以上、連日通うことになると思うと、なかなかたいへんだ。それでも恋は盲目。深草少将は雨の日も風の日も、せっせと小野小町のもとに通った。 そして、ついに百夜目。ようやく小野小町と恋人になれる! 深草少将はさぞ楽しみにしていたに違いないが、百夜目にちょうど大雪に見舞われてしまう。寒さと疲労がピークに達し、そのまま凍死してしまったという。あと少しだったのに……。 こんな伝説が残るほど、何かと思わせぶりな態度をとっては、男性たちの心を惑わせた小野小町。現代ならば「あざとテクニック」をSNSで発信して人気者になっていたかも?
■ 家康も惚れた!? 井伊直政(「モテる」ランキング2位) 天下をとるために手段を選ばなかった豊臣秀吉。徳川家康を従わせるために関係性を強化しようと目論んで、自分の妹を家康の正室に送り込んだばかりか、母親の大政所まで人質として家康に差し出している。これには家康も無視するわけにはいかず、秀吉のいる大坂へ。ついに対面を果たし、家康は秀吉に従う姿勢を見せた。 人質としての役目を終えた大政所は、大坂へ帰ることとなった。その帰りの護衛に、大政所は家康の家臣・井伊直政を指名したという。 というのも、直政は人質となった大政所のもとに菓子を持参して度々訪れては、大切な客としてきちんともてなしていた。ほかの接待役の態度が荒々しかっただけに、美形で優しい直政に大政所は魅了されたという。 直政の美しさは、男色ではなかった家康ですらも惚れかけたほどだったというから、大政所が可愛がったのも無理はない。直政が家康の家臣となったのは15歳のとき。鷹狩りの途中で、直政を見かけて家康が声をかけたのがきっかけだったと伝えられている。 歴史ある名門の井伊家の生まれで、かつルックスも良いとあって、家康にはずいぶんと重宝されている。礼儀正しく所作も美しい直政は、徳川代表の使者として、他の大名との交渉にあたるのにもぴったりだったようだ。