石破茂政権は「30年前の永田町の悲劇」と同じ道を辿っている…「政治とカネ」に翻弄される日本の政治家の愚かさ
■「企業献金も廃止するはずだったものが…」 いま振り返って、細川政権時代に通した「政治改革関連法案」の評価を改めて細川に問うた。 「選挙制度改革自体、不十分なものでしたね。政府案は小選挙区250、比例区250だったものが、自民党案を丸呑みしたため、比例区が少なくなり、民意が反映しにくくなっている状況が続いている。 あのとき、二つの内閣が潰れて6年も掛かってなし遂げられていないことを、ここで食い止めなくてはならないと思ってしまった。まず(政治改革の)骨組みをつくって、あとで修正していけばいい。そこを優先した。だから抜き打ち解散といったことも控えたのです。この不十分な点を改めなくてはならないと考えています」 ――政党助成金制度の導入で、政治家から経済的リアリズムが消えてしまった、あるいは経済政策が本気でなくなったのではないでしょうか。 「そういうことはあるかもしれませんね。ただ、あの時点では政治改革をなんとしてもなし遂げることだけでした。そのため、企業献金も廃止するはずだったものが、ちっともそうならなかった。日本新党は企業献金をやめましたが、他の党は企業献金をやめようとはしませんでしたね。ただ、億単位の金が飛び交うことはなくなりましたが……」 ■「不良債権に関することなど届いてこなかった」 ――まったくの後知恵になりますが、90年がバブル崩壊の年といわれていて、93年に発足した細川政権では、もっと不良債権問題への対応といった経済政策を打ち出すべきではなかったでしょうか。 「当時、大蔵省から不良債権に関することなど届いてこなかったですね。大蔵省は国民福祉税という形で、消費税率を上げたかった。細川内閣はこれで潰れたと思っています。大蔵省の斎藤(次郎)次官と通産省の熊野(英昭)次官が二人で度々やってきて、細川内閣は人気があるから消費税を上げようなんて言う。 彼らに『内閣を潰す気か』と叱責したことがあります。もともと税の問題は党の方でやってもらっていたわけです。内閣では政治改革とウルグアイ・ラウンドで忙殺されていましたから、税ぐらいはやってほしいと党に一任していた。それを最後に私のところに持ってきたんです」 消費税を国民福祉税と名称を改めるにしても、実態としては消費税の税率を上げること――こんな重大な税改正を実現するためには当然、与野党間で根回しが進んでいるものだと考えていたという。細川の言うように、宮沢喜一のアドバイスの通り、大蔵省を押さえるには、細川に残された選択肢は蔵相更迭しかなかったかもしれない。