石破茂政権は「30年前の永田町の悲劇」と同じ道を辿っている…「政治とカネ」に翻弄される日本の政治家の愚かさ
■カネを作っていないから、有り難みがわかっていない それに比べていまの政治家はどうだろう。岸田文雄政権の経済政策はどこか他人事でウツロな感じである。「この国の経済をなんとかする」といった気迫は感じられない。政策プログラムの迫力が圧倒的に足りない。この点は、細川政権以後の政権にも共通する。せっかく政治からカネを切り離そうとしたのに、「税金で政治をやること」のマイナス面も出てしまった。 たとえば、岸田政権では、防衛費のGDP比2%を達成するため思い切った年2兆円規模(令和9年度から)、異次元少子化対策へ毎年3兆6000億円の増額を各々決めたが、明確なかたちで財源を示していない。財源を考えずに支出だけを決定するなら、政治は誰にでもできる。 もうすこしリアルな経済観念があれば、こんなことはできないし、毎年20兆円以上の新規国債など発行できるものではない。自分がカネを作っていないから、お金の有り難みがわかっていないのである。 そして図らずも、昨年末から安倍派の政治資金問題が新たに発覚した。既にご承知のとおり、もともと安倍派という派閥に入ったパーティチケット代金を個々の議員に還流させていた。特に派閥幹部はその資金を自らの勢力拡張、派閥の跡目を競うために使ったとみられる。 ■この状況はバブル崩壊時と同じではないか このカネは、企業や個人はパーティ券の代金を銀行振込しているので資金の流れが明確な表ガネである。それを個々の議員に還流しても表ガネが裏ガネになるはずがない。長年、派閥単位で行っていた悪しき慣行であった。 これなど、まさしく福田派から安倍派へと続く「二軍政治」の証左であろう。田中派に変わって政治の本流にいたためか、自分たちには検察が手を出さないとでも考えたような稚拙な手口であった。 90年代初頭と同じく、政治改革、派閥解消がメインの政治課題となってしまった。歴史は繰り返す。国民の怒りは激しく「政治改革」がキーワードとなるのは致し方ないのであるが、バブル崩壊時と同様に、経済政策の停滞を招くことは必至である。日本経済の立て直しの大切な時期に、またもや「政治改革」で政治報道が埋めつくされることとなった。徒に経済政策の空白が長引かないことを祈るばかりである。 そして、「政治改革」で何よりも先に永田町が取りくむべきは、戦後の政治腐敗史を教訓として、「公」と「私」を分けること、だ。 政治家が政治資金を私的な領域に関わらせないことに尽きると思う。そのために政治改革法を改正することも重要であろうが、法で縛るより何より、「政治家自身にカネの問題が起こったら即刻議員辞職する」ことを慣例にすれば済むことではないか。なまじ法律を改正しても、その抜け道を考えるのが政治家の常である。 それより、カネの問題が起こったらすぐにクビになる永田町をつくることだ。それを選挙で国民に約束させる。そんな改革はできないものだろうか。