災難続くムーディ勝山に起きていた“葛飾の奇跡”──生き別れの父と30年ぶりの再会
「右から来たものを左へ受け流すの歌」で、2007年に一世を風靡(ふうび)したムーディ勝山。小学1年生の息子と4歳になる娘のパパでもある。しかし、彼自身は5歳のころに父と生き別れになっていた。それから三十数年後、東京・葛飾で「奇跡の再会」を果たすことになるとは……。同じく一発屋を名乗る、2人の娘のパパ、髭男爵・山田ルイ53世が聞いた。(取材・文:山田ルイ53世、写真:石橋俊治、Yahoo!ニュース 特集編集部)
2年目のステイホーム
「全部、引っ越してからなんです……」 とため息をつくのは、ムーディ勝山。 さながら、頻発する怪異に堪りかね、霊能者の下へ駆け込んだ“呪われた屋敷”の住人といった趣だが、「風水が悪過ぎるんじゃないかと……」とどうにも愚痴が止まらない。 話題は新居のこと。昨年移り住んでからというもの、ロクなことが起こらぬと嘆いているのだ。 受難のリスト、その一番上は、目下のコロナ禍。今年の3月以降、“地方営業”が軒並みキャンセルとなるなど、多くの芸人が痛手を被った。とは言え、各方面散々なのはご承知の通りだし、勝山邸の間取りが疫病の蔓延に影響を及ぼすはずもない。 本来なら、「風水関係ないわ!」とツッコんで終わりの話だが、ムーディの場合は、はばかられる事情があった。 彼の“ステイホーム”は既に2年目……社会に先んじて、昨年からずっと家に居たからである。 2007年、一躍人気者となったムーディ。翌年には、早くも一発屋などとささやかれ始めたが、「ほんと、コツコツ積み上げてたので……」と振り返る通り、地方に活路を見いだし、滋賀・岡山・宮城等のローカル局で、テレビ・ラジオのレギュラーを次々と獲得していく。 2019年の時点で、その数、実に7本。全国を忙しく飛び回る姿は、“一発屋界のレギュラー王”……いや、もはやただの“売れっ子”であった。 ところが、「これからますます頑張っていこうと、自分的には家賃もちょっと上げて……」と“お引っ越し”をしたその矢先、週刊誌報道に端を発したとある騒動に足元をすくわれた。俗に言う、“闇営業問題”である。 ◇「右から左……ですよね?」 いや、いまさら蒸し返す気など毛頭ない……というより、そもそも、ムーディ自身が悪事に手を染めたわけではなかったが、反社的、もとい、反射的に盛り上がった一部の世論に“何となく”断罪され、「残ったのは、東京のネット番組一つ。地方のレギュラーは全て……」と仕事を根こそぎ失う。 まるで、賽(さい)の河原の童。小さな手で一心に積み上げた石の塔を、無慈悲な鬼が一蹴……しかも、彼には妻と2人の幼子がいた。 「もう、えらいこっちゃと。一家の大黒柱が、ずっと家にいないといけない……」 芸人としての収入は断たれたが、家族を飢えさせるわけにはいかぬ。さらに当時は、長男の小学校入学を春に控えていた。 多少の蓄えはあったが、復帰の見通しも暗いなか、ただ目減りしていくのを眺めるのもと、弁当配達のアルバイトで食いつなぐことにしたムーディ。一発屋とはいえ、かつて時代の寵児となった芸人である。 伺った先のお宅で、 「あれ? あなた、ムーディ勝山じゃない?」 「右から左……ですよね?」 などと“顔バレ”し、居たたまれない気持ちになったことも幾度かあった。 自宅にこもっていたほうがよほど楽だっただろうが、この令和の時代に、“炎柱(えんばしら)”でも“水柱(みずばしら)”でもなく、“大黒柱”などと口にする男。 子供たちの保育園の送り迎えも、「ヨソの子から、『何でニュースに出てたの?』とか聞かれたらどうしよう……」とビクビクしながら、それでも、「ここでためらったら、もう行けなくなる……」と欠かすことはなかった。 2カ月に及んだ謹慎もようやく解け、「騒動の渦中にあった人の方が、説得力がある」と地元滋賀県警から詐欺撲滅キャンペーンの隊長という、しゃれの利いたオファーも舞い込み、さあ、心機一転……と思ったら、今度はコロナである。 これ以上自分の落ち度を探すとすれば、もう玄関マットの色みか、インテリアの配置くらいしかなかったのかもしれない。