災難続くムーディ勝山に起きていた“葛飾の奇跡”──生き別れの父と30年ぶりの再会
“父親を知らぬ息子”
さて、私事で恐縮だが、筆者は長女(小2、次女は1歳半)に自分の職業を伏せている。“一発屋”という言葉に含まれる、負けとか失敗といった苦み成分に、小さな子供を触れさせたくない、というのが主な理由だが、ムーディはと言えば、「隠してはないですね」とそこはあっさり。 第一子である長男を授かってしばらくの間は、 「やっぱり、父親が一発屋芸人ってことで、将来イジメられたりしたら怖いなって……」 との危惧から二の足を踏んでいたらしいが、そんな夫の背中を押したのは、「地元(滋賀)でバイトしていた頃に知り合った」という20年来の付き合いの妻だった。 「奥さんが、『パパが出るテレビ、あるらしいで!』って、もう普通に教えてたみたいで……」 かくして、半ば強制的に、秘密が無くなった勝山家。 「この間出演したネタ特番も、一発屋企画だったんですが、『子供たちと一緒に見たよ!』って奥さんが外出先に動画送ってきて。(子供)2人とも『パパだー!』ってテレビの前でずっとジャンプしてましたね……」 とその表情は満更でもなさそう。むしろ、誇らしげである。 先日などは、学校から帰ってくるなり息子が、「(小学校の友達に)言っといたよ! パパ、テレビ出てるひとだよって!」と手柄顔だったらしい。彼が一発屋という概念まで理解しているとは思えぬが、とにもかくにも、パパの正体を知った子供たち。 しかし、この家族には、“父親を知らぬ息子”がまだ1人残されていた。
生き別れの父、まさかの「葛飾」に
ムーディが父と生き別れとなったのは、5歳のころ。 原因は、両親の離婚だが、「(母に)詳しくは聞いてないけど、親父の酒癖が……」と記憶はおぼろげである。そんな父子の人生が再び交わったのは、さかのぼること2年前の2018年、『こち亀』でおなじみの下町だった。 「ムーディさんのお父さん、来たことあるよ!?」 と寝耳に水、いや、寝耳に“ケルヒャー”のごとき一報を聞かされたのは、東京・葛飾区のコミュニティーFM「かつしかFM」の収録でお邪魔した、商店街の居酒屋でのこと。 この「かつしかFM」、“一発”後の苦しい時期にオーディションでつかんだ、先述の“7本”の中でも最も古株のレギュラー。 「葛飾に縁もゆかりもない僕を選んでいただいて。結局9年くらいやりましたね……」 とムーディにとって思い入れの強い現場でもあった。 そんな記念すべき番組の、非常に狭い聴取エリア……息子の声が届く範囲内に、30年以上前、滋賀で袂(たもと)を分けた父親が暮らしているというのだ。 映画やドラマの脚本なら陳腐かもしれぬが、これは現実。“縁もゆかりも”あり過ぎた。 (いや……どんな確率!?) あまりの奇跡に、筆者は目頭が熱くなったが、肝心の本人は、「『ここら辺に住んでるのか』っていう驚きはあったんですけど……」と何やら、歯切れが悪い。 その後、他の店からも、 「お父さん来たよ!」 との“タレコミ”が続いたが、 「とくに何も行動を起こさなかったですね……」 というムーディ。 実は10年ほど前のブレイク時にも、「向こう(父親)がテレビ見て連絡してくれたのかな……。(僕が)5、6歳のときに離婚して以来でした。母親に電話つないでもらって」とたった一度だけ、プライベートで父と言葉を交わす機会があった。 「慎司、ごめんな、ごめんな」と受話器の向こうで号泣する父に、「僕も5歳くらいだったし、とくに何も覚えてないですし」と気づけば敬語で返していたという。 「ピンとこなくて。正直、そこまでの感情はなかった」 ……父と子の間で過ぎ去った時間を考えると、やむを得ないこと。 しかし、戸惑うムーディにはお構いなしで、“そのとき”は突然やってきた。