小さな体に似合わぬ大きな顔。日本トップレベルの社交ダンスの腕前に裏打ちされたキレの良い動き。2012年、元AKB 48・前田敦子のモノマネでブレークしたお笑い芸人・キンタロー。(以下、キンタロー)に今年1月、第1子となる女児が生まれた。明るい芸風とは真逆のネガティブな一面を持つという彼女。コロナ禍の中、義母との予期せぬ同居生活を送ったというが、その子育てライフとはいったいどんなものなのか。自身も2人の娘の父親である山田ルイ53世が聞いた。(取材・文:山田ルイ53世、Yahoo!ニュース 特集編集部)
喜びに沸いた“一発会”
「無事生まれました!」
と吉報が飛び込んできたのは、今年の1月下旬。
文字通り“ホカホカ”の赤ん坊の画像がとあるLINEグループに投稿されると、
「おめでとう!」
「落ち着いたらお祝いしよー!」
「やったねキンちゃん!」
と祝福の声が次々と寄せられた。
コメントの主は、レイザーラモンHG、コウメ太夫、ムーディ勝山、テツandトモと、それぞれが時代を彩った面々。
もちろん偶然ではない。
彼らは2015年春に発足した一発屋芸人が集う懇親会、通称“一発会”のメンバー。
その紅一点、キンタローの第1子誕生に、一同喜びに沸いた瞬間であった。
初めての出産に、初めての育児。
しかも、コロナ禍の真っ只中で、である。
母となった彼女に聞くべきことはいくつもあったが、筆者がいの一番に口にしたのは、
「あのときの“産まれました!”ってヤツ、一発会は何番目だった?」
というくだらぬ質問。
これには事情があった。
スギちゃんの話を盗み聞き
30歳とデビューは遅かったが、ブレークしたのは芸歴1年目と驚異的な速さで売れっ子の仲間入りを果たしたキンタロー。
「同じ釜の飯を食った同期」「切磋琢磨したライバル」といった人間関係を築く期間……“下積み”を経験する暇さえなかったためか、
「気がつくと芸人仲間が少なくて寂しかった……」
とスケジュールはギッシリだが、心はポッカリという日々を過ごしていた。
「芸人の輪の中に入りたい……」
と渇望し、自分の居場所を探していた当時の彼女。
本命の“女芸人会”には残念ながら縁がなく、
「全然誘われない……」
と嘆いていた折、
「スギちゃんが一発会の話をしてるのを盗み聞きして、『私も入れてください!』ってお願いしたんです!」
とわれわれの元へやって来たのが、2016年初頭の出来事であった。
以来、顔を合わせるたび、
「女芸人会はどうなった?」
と老婆心ながら気にかけてきたが、キンタローの返事は毎回「NO」。
最近は少々触れづらくなり、婉曲に婉曲を重ねた結果、先述の“一発会は何番目?”に至った次第である。
憧れの場でミス、爪痕残せず
そんな経緯もあって、
「結構、(一発会への報告は)最速でしたね!」
とヘラヘラする彼女にも、
(相変わらずか……)と特に動じることはなかったが、今回はいつもと様子が違った。
「実はこの間ラッキーが起きて!」
とパッと瞳を輝かせると、
「去年の7月、収録でTBSへ行ったら、別番組で野沢直子さんがいらっしゃってて!」
……なんと件(くだん)の女芸人会、その主催者である大先輩と遭遇したというではないか。
しかも、
「あっ、キンちゃん! 女芸人会やるからさ、来てよ!」
とトップ直々のお誘いが。
かくして、めでたく初参戦となったのである。
他人事ながら、
(本当に良かったなー!)
と筆者が胸をなで下ろしたのも束の間、
「張り切り過ぎてお店に1番に着いちゃって。なんとなく奥の方に座ったんですけど……」
と何やら雲行きが怪しい。
聞けば、続々と駆け付けるメンバーで席が埋まっていき、うっかり陣取った“上座”付近で身動きが取れなくなったキンタロー。
居並ぶ先輩方を前にして、
「取り皿配ったり、ドリンク頼んだりとかもできず。(笑いでも)全然爪痕を残せなかった……」
と散々だったようだ。
「もう呼ばれないかも。LINEグループもあるらしいんですけど、まだ入れてもらえてないんで……」
とため息を吐く彼女に、
(もうちょっとこう、上手いこと……)
と歯痒い思いも否めぬが、これも性格。
致し方ない。
実は人一倍ネガティブ
かように、“人の輪”に入っていくのが苦手なキンタロー。
「入ったら入ったで、『何、こいつ?』って思われるんじゃないかとか、そういう考えが出てきちゃう……」
というからなかなか根が深い。
芸能界のママ友は、と筆者が水を向けると、
「(私と)同じ時期に横澤夏子さんが赤ちゃん産んで。連絡先は知ってるけど、一切やりとりしてなかったので……」
と何やら未練がましいが、要するにそんな相手は見当たらないとのこと。
彼女とはモノマネ番組で何度か共演したし、一度カフェでランチもしたことがあるのだと力説されたが、友情とは“アリバイ”ではない。
「仲良くなっていきたいと思っていた矢先に、横澤さんがめっちゃ売れて。何か声かけづらくなっちゃって……考え過ぎですか?」
いや、おっしゃる通り、考え過ぎ。
(……そういうところじゃないの?)
と心の中でツッコんだ。
愛娘、“ちびキン”ちゃんを授かったときの心境を、
「うれしかった!“陽”の人に一瞬だけなれました!」
と振り返るあたり、本人にも自覚があるのだろう。
メディアで披露する明るい芸風とは裏腹に、キンタローの根本は“陰”。
平たく言えば、人一倍ネガティブなのだ。
母親のDNA継いだ“ちびキン”ちゃん
そんな彼女が、
「子どもってすごいです!」
と手放しで喜ぶのは、出産までの道のりが平坦なものではなかったことも無関係ではない。
夫婦2人で不妊治療にも取り組んだ。
「うちは、男性不妊だったんですけど、女性不妊でも男性不妊でも、結局負担が大きいのは女性の方なのかなって」
との感想を抱いたそうだが、
「私が摂取しなきゃいけない薬がたくさんあったりとか。ズボラな私が12時間おきに毎日注射打って。結構大変でした」
と内幕を聞けばごもっとも。
その頑張りは、“結構”どころではなかったはずである。
いよいよ出産となっても、一筋縄ではいかぬ。
当初は自然分娩の予定だったものが、緊急帝王切開になったのだ。
ここで唐突に、
「何でか分かります?」
とクイズ形式で筆者に迫ってきたキンタロー。
(……ネタがあるのかな?)と大方察しはついたが面倒臭いので、
「えーっと、(胎児の)顔がデカかったから?」
とあえて身もふたもなく返すと、
「……そうなんですよ」
と少々不満げだが、案の定である。
「予定日が近づいてきたら先生が、『申し訳ないけど、ちょっとレントゲン撮らせてほしい』って。これはただごとじゃないなと」
先生と一緒に写真を確認して驚いた。
「赤ちゃんの頭が子宮口にギッチギチ! 先生が『これは下りてこられないです!』って。骨盤の開き具合が小さかったのと、赤ちゃんの頭のサイズが平均より大きかったっていうダブルで」
……間違いなく母親のDNAだ。
一方でふとよぎったのは、子供の頃の彼女がクラスメートに「しょくぱんまん」と揶揄(やゆ)されることになった原因が“大きな顔”だったという話である。
いや、今や女性としても芸人としてもチャームポイントの一つではあるが……とあれこれ考えてしまい筆者が口ごもっていると、
「私に似てくれた部分があるっていうことで、ちょっとうれしかった!」
と笑うキンタロー。
なぜかこちらまでうれしくなった。
予想外の義母同居育児
こうして、ようやく夫婦の元へやって来たわが子。
「夜泣きも少ないし、オッパイあげたらすぐ寝てくれるし。私もたっぷり寝かせてもらってて。本当に良い子!」
といたって順調のようだ。
何よりキンタローには、心強い味方がいた。
……義母である。
「最初、3月いっぱい手伝ってくださるってことだったんですけど、コロナのせいで、お義母さん佐賀に戻れなくなって……」
と成り行きで延長となった姑との共同生活。
母上には気の毒だが、新米ママにとっては幸運だった。
「うちネコ飼ってるんですけど、ペットの毛が赤ちゃんに良くないって、お義母さん、クイックルワイパーやってくれてて……」
というこまやかな気遣いに始まり、
「私が目覚めたら、もう朝ご飯作ってらして。後片付けも全部。“ホウレン草のごま和え”とか、“きんぴらごぼう”とか、“肉じゃが”とか、体に良いお料理を用意してくださって。『キャベツってこんなに細く切れるんだ!』とか、『ホウレン草は1回ゆでるんだ!』とか」
とその完璧な仕事ぶりは枚挙にいとまがない。
「私は(食材を)ブチ込んじゃう(だけな)んで……」
と落ち込んでも、
「徐々にやってね!」
とどこまでも優しい義母。
キンタローが、
「もう(私とは)時の流れが違う!」
と“相対性理論を発見したときのアインシュタイン”のような口ぶりで、崇め奉るのもうなずける。
「もしかしたらお義母さんの言葉の繊細な部分、読み取れてなかったらどうしよう」
とここでもお得意の考え過ぎを披露することは忘れぬが、
「毎日ご飯作ってると、だんだんレパートリーに困ってくるわけですよ、“主婦の方”は!」
という当事者意識のかけらもない軽口に、むしろ心の底から思う存分“甘えることができている”様子がうかがえ、筆者は安堵した。
思い出す亡き母への後悔
何しろ、キンタローにとって義母は、十数年ぶりに、
「おかあさん!」
と気兼ねなく呼べる存在。
彼女の母は2007年に急死している。
義母との暮らしをキッカケに、
「あー、そういえばお母さん、ホウレン草下ゆでしてたなとか、ゴボウを何か水に漬けてたなとか。あれ、どうやるか聞いとけば良かったな……」
と亡き母を思い出すことが増えたが、心残りも多い。
「自分が母親になって、子育てってやっぱり大変だなと。私も夜泣きしただろうし、お母さんも自分の時間を私たち姉妹に費やしてくれていたんだろうなって」
とあらためて親のありがたみを噛みしめる。
「とくに私は、あれ買って!これ買って!がひどい子で。普通、強く駄目って言われたら諦めるんでしょうけど。とにかく性質が悪くて、お母さんに『わがまま娘!』とかいつも言われてた」
なかでも、
「真っ先に母に謝りたい!」
のは中学2年生のときのおねだり。
「何か夢を感じたんですよ!」
と心奪われたのはオルゴールである。
「陶器の置物っぽい、ネズミたちがティーパーティーしてるやつで……」
ちなみに、お値段は2万円で、
「さすがに買ってもらえなかったんですけど、私怒っちゃって。2日くらい口きかなかった。そしたらお母さんすごく悲しんで。本当に悪いことしたなと思って」
とうなだれた。
最後に子供の将来について、
「やっぱりダンスはさせたいですね」
と語ってくれたキンタロー。
「私の持論では、バレエ。バレエさえ習わせておけば、いざ子どもが『お母さん、私ダンスやりたい!』ってなったときに、オールマイティーなんです!」
と芸人になる前の、ダンス講師時代の血が騒ぐのか熱弁が止まらない。
ちなみに、夫の希望はプロゴルファーだ。
いずれにせよ、母のDNAを色濃く受け継ぐ子である。
その身体能力は折り紙付き。
期待してもいいだろう。
「いつ結婚するんだ?」
と常々娘を心配していた父が他界したのが2014年。
その翌年、バージンロードを妹と歩いた。
「私が生まれたのが幸せな家族だったから、自分の手で新しく築けたらなって」
との言葉通り、人の輪……幸せな家族を掴み取ったキンタロー。
そのお祝いに、かつて“フライングゲット”し損ねたあのオルゴールにならって、ティーパーティーと洒落込むのはいかがだろう。
主役はもちろん、“ちびキン”ちゃん。
今年生まれの彼女の干支は子年、“ネズミ”である。
24年越しに“あのおねだり”を天国の母が聞き届けてくれた……そんなふうに思うのはいささか感傷的過ぎるかもしれぬが。
山田ルイ53世
本名:山田順三(やまだ・じゅんぞう)。お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。兵庫県出身。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになる。大検合格を経て、愛媛大学法文学部に入学も、その後中退し上京、芸人の道へ。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が、「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞し話題となる。その他の著書に『ヒキコモリ漂流記完全版』(角川文庫)がある。最新刊は『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)。