筆者の職業は、漫才師。コンビ名を髭男爵という。2008年に“まあまあ”売れたが、現状はさっぱりの一発屋。と同時に、この春、小学校に上がった長女と、今年6月に生まれた次女の父親でもある。今のところ、僕は長女に自分の本当の職業を教えてはいない。理由は一発屋である。別に恥じているわけではないが、「負け」や「失敗」といった苦み成分を含んだこの言葉に、まだ人生が始まったばかりの娘を触れさせたくないのだ。今回、3人の子を持つテツ(テツandトモ)を訪ね、他の一発屋パパがどんな子育てをしているのか聞いた。「一発屋は育休」「”一発”はプライド」など、筆者とは違う子育て論がそこにあった。(取材・文:山田ルイ53世/撮影:石橋俊治/Yahoo!ニュース 特集編集部)
テツ一家に迫る“2020年問題”
「もう大変! 全員一気にボーンと……」
とため息をつくのは、お笑いコンビ「テツandトモ」の赤ジャージ担当、テツこと、中本哲也。
目下、彼の一番の悩みは、2020年のこと。
といっても、東京オリンピック・パラリンピックとは全く関係がない。
「ランドセルは用意せないかんわ、中学の制服でしょ、あと高校は……」
中学3年生の長男を筆頭に、小6の長女、幼稚園年長の次男と、2男1女の父親でもあるテツ。
来年、その全員の進学が“重なった”というのだ。
もはや、皆既日食。
この際、月食でも惑星直列でも何でもいいが、とにかく天体ショー級の一大事である。
今春、長女の小学校入学を経験した筆者としては、
(“あれ”の×3か……)
とゾッとしたが、半面、彼の元を訪れた理由もその辺りにあった。
何しろ、子どもが3人。
とりわけ、興味を引かれるのが、
「もう、受験ですよ……」
とテツも感慨深げな、長男の存在である。
来年、高校生となる息子が、親の仕事について何も知らぬというのは考え難い。
「パパが一発屋」という事実が、彼や弟妹にもたらした葛藤や苦悩。
父はどう隠し、どう露見し、どう今に至ったのか。
この家族には、筆者が追い求めた問いの答え、目指すべき未来像があるに違いない。
息子がネタ完コピ「なんでだろう」
そんな期待に胸を膨らませていたのだが、
「(子どもたちは)もう小さいころから、普通に『なんでだろう♪』をやってて……」
と事もなげなテツに、さっそく出ばなをくじかれた。
(“小さいころから”? “普通に”?……ん?)
戸惑う筆者を横目に、
「2年くらい前、『今からショーをやるから見てほしい!』って長女がカーテンをパッとやったら、『なんでだろう~♪ なんでだろう~♪』って次男が飛び出してきて……」
と末っ子がテツトモのネタ、「うちの父さん寝てるのに、テレビ消そうとすると『見てるんだよ!』っていうのなんでだろ~♪」を“完コピ”してみせたエピソードを披露。
「マネしてくれて、すごくうれしかった!」
とご満悦だが、
(いや、ちょっと待って!?)
……状況がうまくのみ込めない。
とにかく一つひとつさかのぼるしかないだろう。
気を取り直し、
「父親がテレビに出てる、『なんでだろう♪』の人という認識は(どの子にも)あったと思う」
というテツの言葉に耳を傾けたが、いまさら驚きはない。
“完コピ”できるのだから、“知っていた”のは当たり前。
肝心なのは、その前段……なぜ“知っていた”のか、すなわち、なぜ“バレた”のかだが、
「お正月とかネタ番組をたまたま家族で見てて、『ああ、父さん出てる!』みたいな感じで」
とか、
「NHKの子ども番組(「BSどーもくんワールド」など)にレギュラー出演してて、それを見てくれてたというか……」
との説明には釈然としないものがあった。
連日お茶の間を席巻する“売れっ子”ならいざ知らず、長男が誕生した2005年には既に一発屋と化していたテツトモ。
そう多くもないテレビ出演、そのオンエアの日時を失念し“たまたま見る”ことなど、少なくとも筆者であれば……ない。
“見てくれてた”というのも、妙な物言いだ。
だいたい、幼い子どもが、自らBSにチャンネルを合わせるだろうか。
そんな疑念、モヤモヤを、スッキリと晴らしてくれたのもまた、テツの一言であった。
「まあ、最初は、子どもに『父さん出てるよ』って自分で言ってましたね」
(いや、ゆーとるやないか―――い!!)
……まとめるとこうだ。
この一発屋界のレジェンドは、わが子に(少なくとも)父が芸人であることを伝え、(ごく自然に)出演番組を一緒に鑑賞し、自分のギャグをマネる彼らの姿を(ほほえましく)見守っていた、ということらしい。
要するに、テツには、自分の正体を子どもたちに伏せる気など、毛頭なかったのである。
“一発屋”は育休? 父・テツの子育て観
「コンブが海でダシが出ないの、なんでだろう~♪」
とギター片手に歌うトモと、切れ味鋭い動きや顔芸で盛り上げるテツ。
2003年の流行語大賞年間大賞を受賞し、同じ年、紅白歌合戦に出場も果たすなど、盛大な“一発”を打ち上げた2人は、老若男女を問わず幅広い人気を獲得した……が、それもほどなく下火に。
2005年には、「消えた『一発芸人たち』」(「週刊新潮」)なる特集記事に登場。「キズナ食堂」(TBS)内の企画、「海の家 一発屋」に、ダンディ坂野、コウメ太夫らと名を連ねた2009年ごろには、完全に“その界隈(かいわい)”の代表的存在となっていた。
長くテツandトモを担当してきたマネージャー川田氏も、拙著「一発屋芸人列伝」の中で、
(地方営業のお笑いステージで)客から、
「一発屋芸人列伝」より引用・要約
「まだいたの?」
というキツめの野次が飛び、
「まだまだ頑張りますよー!!」
と健気(けなげ)に返す二人を見守るしかなかった。
と当時の悔しさを吐露している。
テツが長男を授かったのは2005年。まさに“一発屋”と揶揄(やゆ)され始めた時期である。
……これは怖い。
私事で恐縮だが、筆者の場合も、妻が長女を身ごもったときには、既に“一発屋”。
(この子を、幸せにしてやれないかも……)
と不安に苛まれ、絶望する夜もあった。
一方、テツはといえば、
「子どもが大きくなるにつれて(メディアの)露出が増えないほうがえ―かなと。逆に、ありがたいなと思ってた!」
と知ってか知らずか、こちらの“逆張り”のようなお答え。
そのうえ、
「初めての子どもだし、時間を多く取りたかったんで。仕事が落ち着いてるくらいのほうが、余裕ができるから……」
と“一発屋”を育休のように語り、感謝の念まで示されては、
(ウソつけ!)
と思わずツッコミたくもなる。
しかし、その表情は至って真剣。
決して、負け惜しみの類いではなさそうなのだ。
「父さんて死んだの?」多忙な“営業王”
実際、テツトモは負けてなどいなかった。
お祭りやショッピングモールのお笑いステージ、企業の忘年会・新年会の余興など……俗にいう、“地方営業”の仕事。
そのオファーが途切れなかったのである。
驚くべきはその本数で、「消えた」「古い」とささやかれ始めた2005年でさえ、約100本。ここ数年はその倍、毎年200本近くをこなしている。
人呼んで、「営業王」……身もふたもなく言えば、「めっちゃ稼いでいた!」のである。
一発屋のレッテルを貼られながら、日本全国を飛び回る日々。
1週間家を空けるようなこともザラで、
「ねえねえ、母さん……父さんて死んだの?」
とまだ幼かった長男が不安になるほど、多忙を極めたが、
「自転車に乗って、近所の公園に連れていったり、(仕事が)午後からだったら、朝早く起きて一緒にザリガニ釣りに行ったりとか」
とあくまで子ども優先。
それは今でも変わらず、
「長男は、ピアノと剣道を頑張ってる。音楽の遺伝(※テツは、もともと歌手志望。のど自慢大会での優勝歴もある)は、意外とね、一番下に行ってるかも。運動神経も一番下の子かな。あ、でも、娘も結構足が速い。男の子にも勝って学年で1番に……」
と実に子煩悩な、“良いパパ”である。
子に浴びせられた「“なんでだろう”やれよ」
では、当の子どもたちの目にはどう映っているのか。
特に、父と最も長い時間を過ごしてきた長男の心中は気になるところだが、
「最近、息子と会話がない……」
と取材中、しきりにこぼすテツに、
(知る由もないか……)
と半ば諦めていた筆者。
すると、
「実は今日、家を出る前に、(インタビューの趣旨を説明して)『おまえ、父さんのこと、どう思ってんのや?』『父さんが芸人をやってるの、どう?』って聞いてみた」
とテツが切り出す。
いや、ありがたいが、
(また直球で……)
と、こちらのほうが冷や汗ものである。
急遽始まった、親から子への取材は、
「いや、まあ別に……」
と最初は思春期特有の壁に阻まれたらしいが、
「親が芸人ってことで、イジメとか、嫌な思いしたことあるか?」
と食い下がる父に観念したのだろう、
「ないことはないけど……」
と長男が重い口を開いたという。
「『おまえの父さん、“なんでだろう”やってんだろう?』とか、『“なんでだろう”やれよ!』とかは言われたことがあると。一応それくらい。まあ、『おまえの父ちゃん一発屋だろ!』とかあっても、言わないかもですけど……」
そう息子の告白を伝えてくれるテツの表情は、さすがに少々複雑。
筆者も胸を締めつけられた。
ずっと覚悟はしてきたという。
「カミさんとも、そういう時期は来るだろうと。メディアに出てると、『おまえの父ちゃん、“なんでだろう”のやつだろ!?』とかイジメられるかもとすごく怖かった」
これも痛いほど分かる。
自分が原因で、わが子が家の外で不利益を被っては、目も当てられない。
結果、筆者は“隠した”わけだが、テツが選んだのは全く別の道だった。
長男が小学校に上がろうかというころ、
「おまえは、今後何か言われて、嫌な思いをするかもしれん。でも、父さんはこの仕事やめるわけにはいかない。プライドを持って“なんでだろう”をやってる。父さんと母さんはおまえの一番の味方だし、全力で守るから信じてくれ」
と一切ごまかすことなく、誠心誠意、息子と向き合ったというのである。
……いや、頭が下がる。
それでも、
「まあ、完全に理解してたか、分かんないですけど……」
と自信なさげなテツ。
何ぶん、よそ様の家のこと。
大丈夫、などと軽々に言うことはできぬが、少なくとも両親の愛情や覚悟の大きさに、「なんでだろう~♪」と息子が疑問を差し挟むことは今後もないだろう。
ちなみに、同じく“父さんのことを、どう思ってる?”と聞かれた長女は、
「普通……別に、父親が芸人でも、特別な人間だとは思ってないから」
……いや、至極真っ当で、地に足の着いたモノの考え方。
“誰かさん”に似ている。
子は親の鏡というが、目頭が熱くなった。
晩飯は夕方6時、家族そろって自宅で
現在の住まいは、
「カミさんの実家を建て直して……」
と若干、マスオさん感が漂う一軒家。
おまけに、義父母と子どもたちの計7人暮らしときては、ますます「サザエさん」……昭和の家族の理想像だ。
実際、磯野家、もとい、中本家には、
「基本、家族みんなで川の字で寝る」
「晩飯は夕方6時に、家族そろって自宅で食べる」
「たまの家族旅行は、1泊2日で那須塩原や熱海」
などなど、古き良き時代を思わせるルールがめじろ押し。
そんな昭和な一家の元へ、令和の波が押し寄せた。
「この前たまたま、YouTuberのフィッシャーズさんとお会いした。自分も子どもと一緒に動画見てるから、『ウワーッ、フィッシャーズや!』と。向こうも、『あっ、テツさんじゃないですか!』って気づいてくださって」
と一緒に撮った写真を子どもたちに見せると、
「うわっ、父さんすごい! フィッシャーズが、『なんでだろう』やってる!!」
と大興奮。
人気YouTuberを連帯保証人に迎え、やっとこさ手にした尊敬のまなざしだが、
「『父さん、YouTubeに出んの?』って会話がめちゃくちゃ弾みました」
とテツは心底うれしそうである。
ある意味、テツandトモはYouTuberと対極の存在。
お客様の元へ、自ら足で芸を届け、“いいね”をもらう。
「日本人が生で見たことがある芸人」……“肉眼視聴率”なるパラメーターがあれば、断トツの1位に違いない。
「それがモットーですよ。だって、それしかできない」
と謙遜して見せる横顔は、頑固な職人のよう。
漂うのはやはり、昭和の薫りである。
芸風と同じく、子育ても超アナログ。
不器用かもしれぬが、ただただ正面から子どもたちと向き合ってきた。
以前、長男と長女に、
「父さんは“昔”よくテレビに出てたんでしょ?」
と聞かれたことがあるというテツ。
ああ、幸せな親子に“一発”が暗い影を……と筆者は身構えたが、
「そうだよ」
の一言で会話はあっさり終了したとのこと。
この家族では、“一発屋”はタブーではない。ゆえに、“一発屋”など存在しないのだ。
3人の子どもたちが、小・中・高へ同時進学を果たし、大人にまた一歩近づく、2020年。
テツは50歳と大台を迎える。
「ほっといても仕事は少なくなるから。そのときのために、今いただけるお仕事を一生懸命がんばる。体が動くうちに!」
とまだまだ鼻息も荒いが、仕事人間にも、いずれ穏やかな日々が訪れよう。
縁側に座る、少しアゴの長い“赤い”ちゃんちゃんこの老人。
彼の視線の先には、
「なんでだろう~♪なんでだろう~♪……」
とはしゃぐ孫たちの姿が。
……テツの生き様に触れると、そんな光景が目に浮かんで仕方がない。
そして筆者は自問せざるを得なくなるのだ。
「自分の娘に、仕事のこと隠しているの、なんでだろう~♪」
と。
山田ルイ53世
本名:山田順三(やまだ・じゅんぞう)。お笑いコンビ・髭男爵のツッコミ担当。兵庫県出身。地元の名門・六甲学院中学に進学するも、引きこもりになる。大検合格を経て、愛媛大学法文学部に入学も、その後中退し上京、芸人の道へ。「新潮45」で連載した「一発屋芸人列伝」が、「編集部が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を受賞し話題となる。その他の著書に『ヒキコモリ漂流記完全版』(角川文庫)がある。最新刊は『一発屋芸人の不本意な日常』(朝日新聞出版)。