「戦争だから仕方ない」みんなそう思っていた──サンリオ辻名誉会長が語る軍国主義教育の恐ろしさと、「みんな仲よく」の信念 #戦争の記憶
大学卒業後、山梨県庁に入庁するが、1960年に退職。県庁の外郭団体を独立させ、「山梨シルクセンター」(1973年に社名をサンリオに変更)を設立した。ビジネスの道に進む中、常に辻さんの頭の中にあったのが、甲府空襲の体験だった。 「それまで普通に生活をしていた人が、いとも簡単に殺されてしまうんですよ。そんなことが、あっていいわけがない。なにがあっても、戦争を起こしてはいけない。この世から戦争をなくさなければならない。そのためには、人間同士が助け合い、仲よく生きていける環境が必要です。だったら自分はそのために、何ができるのか。常に、そのことを考えていました。そこで、みんなが仲よくなるために役立つ、かわいらしい文房具などの小さなプレゼントをつくろうと考えたんです。でも始めた頃は、そんな『仲よくなるためのもの』なんかがビジネスになるわけないと、みんなからバカにされましたけどね」
伝え続けることが戦争体験者の責任
辻さんは「世界じゅうがみんな仲よく」「Small Gift Big Smile」をモットーにビジネスを展開した。1977年には、ベトナム戦争後の戦災孤児を預かったアメリカ人ファミリーのドキュメンタリー映画『愛のファミリー』を製作し、第50回アカデミー賞・長編ドキュメンタリー映画賞を受賞する。 「あれは、言ってみれば反戦映画です。ドキュメンタリーを撮らせてくれ、しかもアカデミー賞をいただけたというのは、当時アメリカの映画界でも、戦争はダメだという思いを抱いている人が多かったからだと思います。私の場合、軍国主義教育を受けたせいで、戦争は正しいんだと思い込まされていた。教育は大きな力を持ちます。ビジネスが軌道に乗ってからは、なんらかの形で、『戦争は絶対にいけない』『みんな助け合って、仲よく』というメッセージを発信しようと考えてきた。映画にも、その思いを込めました」
サンリオでは1975年から「いちご新聞」を発行している。戦後70年を迎えた2015年の8月号では、「いちごの王さまからのメッセージ」として自らの戦争体験を綴るとともに、世界の恒久平和のためには「友情と助け合いが必要」と訴えた。以後、毎年8月号に、戦争体験と平和の大切さを発信し続けている。 「毎年、続けているのは、『戦争は絶対にやってはいけない』ということを、みんなどんどん忘れていっているからです。国と国が争ったり、人を殺したりするなんてことは、絶対にしてはいけない。体験者は、そう伝え続けなくてはいけない、それがあの戦争を経験した人間の責任だと思っています。日本は、お金持ちの国を目指すとか、あるいは自分さえよければいいという国ではなく、仲よくすることを推奨する国であってもらいたい。そうでないと戦争で亡くなった人たちにも申し訳ないと思います。だからこれからも、発信し続けるつもりです」 ---- 辻信太郎(つじ・しんたろう)株式会社サンリオ名誉会長。1927年山梨県甲府市生まれ。1947年桐生工業専門学校(現・群馬大学)卒業。11年間、山梨県庁に勤める。1960年に株式会社山梨シルクセンター設立、1973年に社名をサンリオと変更。1970年代にハローキティやマイメロディなどのオリジナルキャラクターがヒット。1990年には東京都多摩市にテーマパーク「サンリオピューロランド」をオープンさせた。