日本軍兵士の多くは餓死や自決、ときには「処置」も――死者からわかる戦争の実像 #戦争の記憶
先の大戦で日本軍の死者は軍人・軍属を合わせて約230万人にのぼる。ソ連は1360万人、ドイツは325万人と多数の死者が出たが、日本軍の死の内実は欧州戦線とは大きく異なる。死者の9割は1944年以降に絞られ、さらにその死の半数ほどが病死、とくに餓死が占めていたことが戦史研究からわかった。日本軍兵士の戦場での実像を研究した吉田裕・一橋大学名誉教授に尋ねた。(ジャーナリスト・森健/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部)
餓死が多かった日本軍兵士
1937年7月に日中戦争、1941年12月に太平洋戦争がはじまり、1945年8月15日の終戦までの8年間に、日本軍は軍属も含め約230万人がなくなった。 「日本の戦況が急激に悪化したのは、1943年2月のガダルカナル島の撤退からです。前年6月のミッドウェー海戦で主力の機動部隊がやられました。その後、アメリカは空母や戦闘機などを急速に増加させ戦力を上げました。43年9月に決定された絶対国防圏も整備しきれないまま、44年6月、サイパン島が陥落します。もうここで事実上負けていたと言ってもいいでしょう」
勝てる見込みのない戦争。厳しい局面の戦地に駆り出されていた日本軍兵士はどのような戦場を生き、どのようになくなったのか。吉田氏はそんな日本軍兵士の実情を研究した。 防衛庁(現・防衛省)防衛研修所が編纂した『戦史叢書』(全102巻)をはじめ、連合国側の記録、さらには無名の元兵士たちが綴った数千冊の自伝や手記……。それらを突き合わせていくなかで、死は戦闘以外の要素が強いことが明らかになっていった。 「年次別の戦死者数を公表している岩手県のデータなどから推計すると、軍人・軍属の87.6%は1944年1月以降に亡くなっていました。問題はその死に方です。戦争ですから、多くの人は戦闘で命を落としたと考えるでしょう。でも、日本軍は1944年以降、戦病死者が多く、ある中国の連隊の史料では戦病死者が戦没者に占める割合は73.5%にもなりました。実際に全戦没者で見れば、この数字より多い可能性が高いです。その戦病死の中身も、栄養失調による餓死、あるいは栄養失調の果てにマラリアに感染というケースが多い。餓死の比率は61%や37%などの説があり、確定はしていません。ですが、おおむね半数が餓死者だったと言っていいでしょう」