百人一首、「島流し」になった男の心情が見事に描かれた「圧巻の歌」をご存知ですか?
和歌の「オールタイム・ベスト100」
年末年始に「百人一首」のかるたをする……という人も、いまはあまり多くないかもしれません。 【写真】これは珍しい…江戸時代の「百人一首」の読み札 しかし、ときには日本の古い文化にふれ、いまの自分たちのありようを規定している歴史の流れについて考えてみるのもよいものです。 そんなときに最適な一冊が『百人一首がよくわかる』という本です。著者は、作家の橋本治さん。古典の現代語訳や解説でよく知られています。 本書は、百人一首を以下のように解説しつつ、百首すべてについて現代語訳と、それぞれの歌の味わい方を示していくのです。 〈百人一首は、鎌倉時代にできました。これを選んだのは、当時の貴族で、有名な歌人でもあった藤原定家と言われています。 定家は、鎌倉時代までの百人の和歌の作者と、その作品を一首ずつ選んで、『百人秀歌』というタイトルをつけました。和歌の「オールタイム・ベスト100」で、時代順に並べました。これが百人一首の原型と言われています。 さらに定家は、百首の和歌を一首ずつ色紙に書きます。宇都宮入道頼綱という人の別荘の飾りにするためです。定家は字がへただったのですが、入道がどうしてもと言うので、しかたなしに書きました。 その別荘のあった場所が、紅葉の名所として有名な京都の小倉山なので、この百枚の色紙を「小倉の色紙」と言います。百人一首は、この色紙から生まれたと言われています。〉 では、実際に「百人一首」に所収された歌を、橋本さんはどのように楽しんでいるのか見ていきましょう。同書より引用します(読みやすさのため、改行などを編集しています)。
海原を渡る先は
【作者】参議篁(たかむら) 【歌】 わたの原 八十島(やそしま)かけて こぎ出でぬと 人には告げよ 海人のつり舟 【現代語訳】 海原を 島々めざして 出てったと 伝えてくれよ 海人の釣り舟 【解説】 参議は、大臣、大納言、中納言と続く、その下のポストです。そのポストについていたこの人は小野篁(おのの・たかむら)と言います。平安時代の初めの人ですが、嵯峨上皇の怒りに触れて、隠岐の国へ流罪にされます。 意外かもしれませんが、この和歌は、その流罪にされる時の作品です。都から島根県の隠岐へ流される時、昔はまず、淀川を下って瀬戸内海に出て、そこから日本海へ向かうという迂回路をたどりました。 「海の原 八十島かけて 漕ぎ出でぬ」は、多くの島々が浮かぶ瀬戸内海へ向けて舟が漕ぎ出して行く、その風景です。 広い海には、ただ魚を釣る小さな漁船があるだけで、他にはなんにもない。そんな小舟を見ながら、小野篁はひとりごとのようにつぶやくわけです。 「もしも、都の誰かに会ったら伝えてくれよ。俺は元気で、まるで島巡りをするみたいに、船に乗って出てったと」──ここでフルートが鳴れば、『ジョニィへの伝言』の島流しヴァージョンになりますが。 * 【つづき】「百人一首の「いちばん有名な歌」が、現代人におしえてくれる「圧倒的な和歌の表現力」」の記事でも、引き続き百人一首の歌を楽しんでいきましょう。
群像編集部(雑誌編集部)