「今でも会いたい…元気な息子返して」23年前『集団登校』狙いワゴン車が列に突っ込んだ…うずくまる児童の傍に散らばるランドセル 7歳息子を亡くした父親 20年以上経っても変わらない悲しみ
「裕介を亡くして22年がたちますが、無性に会いたくなることが今でもあります。どこかで待っているんじゃないか…ふと、そう思う時があります」 【画像を見る】カメラに向かってピースする裕介さん 時折、目を潤ませながら丁寧に話すのは、湯浅惠介さん(60)。23年前の2002年、最愛の息子・裕介さん(当時7)を事件で亡くしました。今も、忘れることのできない悲しみや苦しみなどを語りました。湯浅さんは去年8月、京都府警の警察官ら40人を前に講演を行いました。「話していると、事件の日の朝に引き戻されてしまうような…」それでもなお、湯浅さんが事件について語り続ける“思い”とは・・・。
集団登校中の小学生の列に車突っ込む…児童ら12人が死傷
2002年1月21日午前7時40分頃、京都府綾部市の市道でワゴン車が集団登校の列に時速30~40kmで突っ込み、児童らを次々に跳ね飛ばし、11人が重軽傷を負い、当時小学校2年生だった湯浅裕介さん(7)が全身を強く打ち、死亡しました。 車を運転していた男は好意を寄せていた女性から交際を断られた腹いせに、女性の子どもがいる集団登校の列を狙い犯行に及んだということです。 男は傷害致死などの罪に問われ、2004年に京都地裁舞鶴支部は男に懲役18年を言い渡しました。男は控訴していましたが、大阪高裁から棄却され、2006年に判決が確定しました。
事件当日は「いつもと変わらず元気に出ていく姿を見送った」
事件があった当日の朝、湯浅さんはいつもと変わらず登校前に裕介さんを抱き上げ、元気に出ていく様子を見送ったと話します。 (湯浅さん)「月曜日、小雨が降って本当に冷えこむ朝でした。我が家の朝は、裕介のほうが先に学校に出るので、私はいつも裕介を抱え上げて『今日も元気いっぱい行っておいで』と言って、ぎゅっとして送り出していました。その日も彼は『行ってきます!』と元気よく長靴を履くか履かんかぐらいで慌てて走って出ていきました。いつもと本当に変わらない朝でした」 裕介さんが家を出てしばらくした後、友達のお母さんが慌てて家に飛び込んできました。 「『ゆうちゃんが大変や、はよ行って!』と友達のお母さんが家に駆け込んできました。元気な子でしたから、飛び出しかなんかして、車にはねられたのか何かに当たったのかと、慌てて現場の方へいきました」