「今でも会いたい…元気な息子返して」23年前『集団登校』狙いワゴン車が列に突っ込んだ…うずくまる児童の傍に散らばるランドセル 7歳息子を亡くした父親 20年以上経っても変わらない悲しみ
「痛い、痛い」うずくまる子どもたちと散らばるランドセル
湯浅さんが、現場に駆けつけると、道幅4~5メートルの坂道に、複数の子どもたちがワゴン車にはねられ、何人もの子どもたちが泣き叫んでいました。 (湯浅さん)「大きなバンが横側に向いているのがわかりました。そのワゴン車は12人の子の登校の列に突っ込んで止まっていました。私が現場に着いた時は、子どもが被っていた黄色い帽子とか長靴、ランドセルがあちこちに飛び散っていました。冷たい雨が降る中で、ずぶ濡れになって子どもたちが泣きながら『痛い、痛い』と道路脇でうずくまっていました」
「出てこい!何してんねや!」飛び交う大人たちの怒号 冷たい息子へ一心不乱に呼びかけた
子どもたちが苦しんでいる中、車を運転していた男はまだ車の中にいたといいます。 (湯浅さん)「目を疑いましたが、そのワゴン車には運転手が乗っていました。乗ったままタオルを頭にかけて、運転席に頭を突っ伏して身動きをしていませんでした。ドアはロックして開けないようにして、周りで大人たちから『出てこい!何してんねや!』と怒号があがっていましたが、子供を助けようとせず、ずっと突っ伏したままでした」 湯浅さんが目にしたのは、家を出るまで元気だった裕介さんの変わり果てた姿でした…。救急車で運ばれている裕介さんに何度も何度も声をかけたといいます。 (湯浅さん)「全然意識もなく、身動き一つしない。手を握っても何をしても返事をしてくれません。身体も冷たくなってきて一心不乱に妻と一緒に身体をさすって、呼びかけましたけど、一言も返事はありませんでした。病院に着いても冷たくなった手をさすりながら名前を呼び続けて。何時間も何時間もそうしましたが、とうとう裕介は一言も返事をしてくれることなく、天国へ逝ってしまいました・・・。わずか7歳です」「頭の前頭部には10センチほどのぱっくり割れた傷がありました。裕介の小さなかわいい顔や身体には、たくさんの青いあざや、傷がありました。背負っていたランドセルの肩ひもはちぎれて、黄色い傘はぐちゃぐちゃになっていました」