「日本のカレーのルーツは“フランス”だった!?」 食のプロが語る“意外過ぎるカレーの歴史”
新刊『現代調理道具論 おいしさ・美しさ・楽しさを最大化する』を上梓した、料理人・飲食店プロデューサーの稲田俊輔さん。先日、書籍にも登場する「ホットクック」のメーカーであるシャープ東京ビルにて出版記念イベントが行われました。このファン垂涎のイベントで稲田さんが語った、〈カレーについてのマニアックなお話〉を公開します。カレー好きなら必読必至です! 【漫画で読む】賢い子は料理も得意…? ほぼ塾なしで開成に合格した子が「本格スパイスカレー作り」に挑戦してみたら…
フランス経由で日本へ。帝国ホテルで高級料理として提供されたカレー
「今日は久しぶりにカレーについてのマニアックな話をしたいと思います。皆さんは、カレーがどのように日本に伝わったかご存知ですか? カレー好きの方なら知っているかもしれませんが、おさらいしてみましょう」 イギリス東インド会社によって、インドが植民地化されていた17~18世紀。アングロインド料理という、イギリス人用のインド料理が誕生します。それが逆輸入されて本国であるイギリスや、フランスなどの欧州に広がっていきました。そうしてイギリスやフランスに渡った“カレー”が、明治・大正時代に日本へ伝わったと言われています。当時は帝国ホテルなどで高級な料理として提供され、フランス料理のソースキュリー的なものだったそうです。 日本のカレーはフランスから伝わった?……と、意外に思われるかもしれませんが、これは最近、キンドルのみで出版された近代食文化研究会さんの『新しいカレーの歴史』でも触れられていました。日本にカレーが伝わったのはイギリスからと思われていますが、フランスで生まれた欧風カレー(ソースキュリー)がメインだったのではないかと書かれています。 もう少し近い話になると、19世紀あたりにイギリス→インド経由で日本に入ってきたカレーもあります。これは、バングラディッシュの人たちが仕事を求めて渡ったイギリスでカレー店を始めたことが発端。レストランというより、最初はケータリングやテイクアウトのような形態が主だったようですが、こうしてイギリスにバングラディッシュ人によるカレー店が広がっていきます。 彼らは北インドでポピュラーなチキンコルマや、ポルトガル料理の影響を受けたゴア地方の名物であるビンダルーなどのカレーを提供していました。しかしその実態は、「イギリス人向けだから、本場そのままの作り方である必要はないだろう」と、共通のカレーソースをベースとし、色みや辛さを多少調整するというやり方で、マイルドなコルマや激辛のビンダルー、緑色のサグチキン、玉ねぎ入りのドーピアザなどを作り分けていたのです。 しかしこのバングラディッシュ人による謎のインドカレーがまさかの大ブレイク! 「ビンダルーって、スパイシーでうまい」みたいな感じで大人気になり、やがてインド本国にも影響を与えたりもする中で、さらに「宮廷料理」的な洗練も遂げ、これがインドカレーとして世界中に広まっていくことになりました。 インドで本格的な外食産業が発展し始めたのは1950年ごろ。それまでインドに外食文化はありませんでしたが、イギリスからの独立後、初のインド料理レストランができました。と言っても、最初は外国人向けのレストランだったそうで、主な客はイギリス人などでした。僕は“北インドレストランカレー”と呼んでいますが、このカレーが大人気を博したため、1970年代ごろに日本にもこの類のカレーが入ってきます。お店で言うとアショカやモティなど、元をたどればこういう経緯で生まれたお店というわけです。