江原啓之×丸山敬太 初対面から45年「敬太」「プーヤン」と呼び合う仲。高校の同級生、青春時代を語る
同じ高校に通い学んだ江原啓之さんと丸山敬太さんは、ともに60歳目前。スピリチュアリスト35周年、デザイナー30周年と節目の年を迎えるにあたり、出会った頃の懐かしい思い出話から、未来への展望まで語り尽くします(構成=丸山あかね 撮影=天日恵美子) 【写真】貴重!学ラン姿、高校生の江原さんと丸山さん * * * * * * * ◆著名なクリエイターを多数輩出した高校 江原 敬太と対談するのは初めてだね。会うのは何年ぶりだろう? 丸山 お久しぶりです、プーヤン。 江原 やめて、その呼び方。(笑) 丸山 高校時代の愛称は「おプー」だったよね。「くまのプーさん」みたいで可愛かったから。僕は、「プーヤン」って呼んでた。 江原 懐かしい。初めて会ってから45年も経つなんて信じられないよ。 丸山 しかも僕たち還暦だって、ビックリ! 普段、年齢のことは意識しないんだけれど、60歳といわれるとさすがに感慨深いものがあるなぁ。今日は青春時代を振り返って、初心に戻るいい機会だね。 江原 間違いなく爆笑対談になると思うけど。(笑) 丸山 考えてみると不思議な縁だよね。僕らの母校、東京都豊島区にある本郷高校のデザイン科には50人くらいいたじゃない? プーヤンとは出席番号も「え」と「ま」で離れていたのに、どうやって仲良くなったのか思い出せないよ。 江原 名前の五十音順に並んで座っていたから、自然に話す機会はあまりなかったはずだよね。前世から縁がつながっていたということだと思う。
丸山 きたきた、前世話(笑)。本郷高校は今すごく優秀な進学校になっているそうだけど、当時あった機械科とデザイン科はなくなったんだって。デザイン科の1学年上には現代美術家の村上隆さんがいたし、そのほかにも著名なクリエイターをたくさん輩出してきたから、残念でしかないね。 江原 デザイン科のある高校って、当時珍しかったんじゃないのかな。 丸山 そうそう。僕は子供時代から洋服が好きで、ファッションデザイナーになりたいという夢を抱いていた。だから本郷高校を選んだんだけど、当時はそれ以外に選択肢がなかったという記憶。そうでなかったら巣鴨まで通うのが大変すぎるもん。 江原 当時の敬太の実家は、原宿だったもんね。 丸山 そういえば、プーヤンはなぜデザイン科を選んだの? 江原 すでに両親が他界していたし、一人で生きていくために手に職をつけたほうが就職に有利だと考えて。敬太はあの頃から本当に洋服が好きだったよね。新しい洋服を買うために、いらなくなった洋服を友人たちに売っていたのを覚えている。 丸山 それ、みんな言うんだけど……。 江原 「プーヤン、この山本寛斎のシャツ、サイズ的にもぴったりだし、似合うと思うんだけど」とか勧めてきて、「いいねぇ」って言うと、「はい、いくらね」って請求されてた(笑)。 おかげで僕は正価では高くて買えないような洋服を着る機会に恵まれたし、それがきっかけでファッションに目覚めたんだよ。そういう意味でも僕にとって敬太は刺激的な友達だったね。
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