元ヤングなでしこ・田中陽子はなぜ韓国でプレー?「いつかプレーしたい国ではあった」昨季は国内で大逆転優勝を経験
仁川現代製鉄レッドエンジェルズ(韓国) 田中陽子インタビュー 中編 若かりし頃から描いていた海外挑戦を、26歳で果たした田中陽子。サッカーだけでなく、その国の文化ごと吸収していくことが楽しいと現在進行形で話す。そんな彼女がスペインの次に選んだのは、意外にも日本に近い韓国だった。「常に現状と真逆の環境を選びがちだ」と言う彼女の挑戦について聞いた。 【写真】田中陽子 今昔フォトギャラリー/2012年ヤングなでしこで大活躍! 前編「田中陽子が振り返る20代 日本、スペインでのプレー」>> 【いつかは韓国でプレーしたかった】 ――スペインでは3年プレーしました。田中さん的には、また移籍の周期が訪れて韓国へ? そうなんですかね(笑)。期間を決めているわけじゃなくて、自分はすべてタイミングでここまで来ているんです。その際、常に"真逆"を選んでるとは感じます。INACとノジマもそうだし、ノジマとスペインもそう。 それでいくと韓国は、日本とスペインの間って感じですね。意見がハッキリしていて、自由なところもあれば、上下関係があったり。サッカーってその国の文化が色濃く出る場合も多くて、そのつながりを見るのも楽しいです。今となっては、ひとつのところに留まることのほうがキツイかもしれません。 ――なぜ韓国だったのでしょうか? いつかプレーしたい国ではあったんです。JFAアカデミー福島で同期だった吉見夏希選手が韓国でプレーしていて、環境がいいことは聞いていました。その後、田中明日菜選手、田中萌選手、櫻本尚子選手といった知り合いがたくさん渡って行って、冗談っぽく誘われてもいました。スポルティング・ウエルバにいた時に唯一知り合った日本人の知人が25年間韓国に住んでいたので、遊びでハングルを教えてもらったり、韓国料理を食べさせてもらったりしていて、韓国が身近な存在だったことも大きいかもしれません。 ――そのタイミングでオファーが来たと。 いや、まあそこには事情もあって(苦笑)。ウエルバの次に所属したラージョ・バジェカーノ・フェメニーノは未払いもあって大変だったんです。噂にはよく聞くけどまさか1部でそういう問題は起きないだろうと思ってたら、起きた(笑)。最終的に国際プロサッカー選手会(FIFPRO)に手伝ってもらって、なんとか解決って感じだったんですよ......。韓国では考えられない!