巨人・江川卓以降の「背番号30」の顔触れが面白い 1年ではく奪や、助っ人や移籍組が背負ったことも
巨人の背番号「30」は、今季はオリックスから移籍してきた近藤大亮が着けているが、今でもファンの間では「30番イコール江川卓」のイメージが強い。その理由として、江川のあとに背番号「30」を着けた選手があまり印象に残っていないことも挙げられるが、一人ひとりを見てみると、意外にバラエティに富んだ顔ぶれであることがわかる。“江川後”の巨人の30番を振り返ってみよう。 【写真】阪神の「背番号44」バース以外で背負った男といえば? 江川の現役引退後、最初に30番を受け継いだのが、1987年のドラフト1位で入団した橋本清だ。93、94年にセットアッパーとして2年連続52試合に登板し、抑えの石毛博史とともに“勝利の方程式”と呼ばれたが、この両年以外は目立った活躍ができず、その後は相次ぐ故障に泣いた。巨人で最後の3年間は1軍登板なし。30番も99年に剥奪され、92番に。「30に2分の1とか付けてもらえんかなあ」と未練たっぷりだったが、取り戻せないまま、00年オフに巨人を去った。 橋本と入れ替わりに30番を着けたのが、98年のドラフト6位で入団した右腕・玉峰伸典だ。高校卒業後、専門学校を経て、王子製紙米子で3年間プレーしたが、野球部が廃部になったため、王子製紙春日井に移籍した異色の経歴の持ち主。中央では無名ながら、MAX143キロの直球と多彩な変化球、マウンド度胸の良さで、大化けが期待された。 だが、1年目はイースタンで登板13試合、2勝1敗、防御率2.86を記録も、1軍登板なし。翌00年、韓国出身の右腕・鄭珉哲の入団に伴い、たった1年で30番から60番に変更となった。奪三振も多いが四球も多いという不安定さを解消できず、01年のシーズン途中に移籍した近鉄でも芽が出ないまま、02年限りで現役引退。翌05年、打撃投手として巨人に復帰した。 韓国通算109勝を手土産に入団した鄭も、日本ではあまり活躍できなかった。 最初の2試合は順調だった。00年5月19日のヤクルト戦で初先発初登板、8回途中まで1失点に抑え、来日デビュー戦を白星で飾る。6月14日の横浜戦でも、マシンガン打線を7安打完封し、2連勝を記録した。