甲子園ボウルの連覇が途絶えた関西学院大学、最後のキックを外した俺に、父親は「胸を張れ」と言った
一番緊張した夏合宿のFG
楯は最後の夏合宿を心に刻んでいる。「100%決めるって言ったのに春にいい結果も出せず、キッキングリーダーとして信頼されてないし、勝敗を決めるキッカーとしてまだまだいろんなものを背負えてない」。そんな思いを抱えながら臨んだ夏合宿。練習の最後のメニューがFGで、チーム全員に見られて蹴った。大西のキックが決まらない。楯も決められない。「何しとんねん」。厳しい目を向けられる日が続いた。最終日のラスト一本のFGはリーダーの楯に任された。Hポールに向かって立つ楯の後ろに、全部員が並んだ。「これ決めな負けやぞ」の声が飛ぶ。 「合宿でめっちゃしんどいことをやってきたっていう全員の思いが僕の背中に乗っかって、『ほんまにこの一本を決めなあかんねんな』と。後ろにいるみんなが発する言葉の一つひとつが重くて、いままでで一番緊張したFGだったんですけど、ど真ん中に決まった。これが関学のキッカーが背負わなあかんもんなんやな、と実感しました。いままでほんまに甘かったというのを感じて、震えました。手も足も震えてましたね」 最後の秋シーズンも出番がないまま進んでいったが、入部のときに背中を押してくれた永田さんは「狙っとけよ。絶対チャンスがあるから」とメッセージをくれていた。試合の中でキッキングゲームになると、楯はサイドラインからフィールドの選手たちに向かって叫んだ。 そして永田さんの言葉は現実になった。全日本大学選手権準決勝、負ければ終わりの一戦で、関西学院大学ファイターズの送り出したキッカーが楯直大だった。彼のキックが外れて関学は負けた。ただあのキック、楯は右足を振り抜いた。いつも通りに振り抜いた。いろいろあった4年間で培ったものを信じて、振り抜いた。それがすべてだ。 楯には試合に臨むにあたって三つのルーティンがあった。キッカーの先輩がやってきたのを受け継ぎ、試合前日にはキッキングゲームの分析で使っている部屋の一角をきれいに掃除した。そして4年生の秋は、実家から送ってもらったバリカンで、10人ほどの同期の頭を刈った。スパイクは高校時代からずっとアディダスのコパ。試合前日にひもを抜いて磨き、試合会場に着いたらスタンドで食事をとりながらひもを通す。ずっとそうやってきた。どれも大好きな時間だった。