甲子園ボウルの連覇が途絶えた関西学院大学、最後のキックを外した俺に、父親は「胸を張れ」と言った
最上級生となり、キッキングチームのリーダーに
2年生になると高校時代から活躍していた大西悠太がフレッシュマンとして入ってきた。4年生の福井柊羽がスターターで、2番手が大西になった。そこからの2年間、楯なりに正確性と丁寧さだけは負けないようにと努力を積み重ねてきたが、試合が決まってからの出番がほとんどだった。 昨冬、関学は史上初の甲子園ボウル6連覇を達成し、楯らの代が最上級生になった。キッキングチーム全体のリーダーとなった楯は冬から春にかけて、新4年生のミーティングで「詰められた」という。「僕がこれまで同期の選手たちとはあまりコミュニケーションを取ってこなかったので、『何をしてるのか分からん』というのが一番でした。(分析を担当する)AS(アナライジングスタッフ)のみんなとはよく話してたんですけどね。リーダーとして、どうしてもキッキングがオフェンス、ディフェンスの次になってたのを変えたいという思いを伝えたんですけど、しゃべるのがうまくなくて、ちゃんと伝わらなくて。それで『お前はキック何%決めんねん』って言われたときにムキになって『100%決めたるわ』って言い返しました。いろいろ言われたんですけど、見返したると思って。自分のキック自体もそうだし、キッキングとして見返したろうと思ってました」 まだまだいろんなことを吸収したいと、1年生のときからお世話になってきたジャパン・キッキング・アカデミー(JKA)代表の丸田喬仁さんのクリニックに参加したり、Xリーグ・パナソニックのスペシャリストの人たちとも一緒に練習させてもらったりした。4月20日、春シーズン初戦の慶應戦ではV戦で初めてスターターで出た。自分なりに自信を持って臨んだが、打ちのめされた。40ydのFGは決めたが、22ydは外し、PATも1本外した。「ラッシュの激しさが想定できてなくて、自分のテンポで蹴れてなかった。めちゃくちゃでした」 次の試合は5月4日のアメリカ遠征、南オレゴン大学戦。当日のアップの途中までスターターの予定が、急きょ大西に変わった。楯は1プレーも出られなかった。試合後、悔しさにまみれていると、南オレゴン大のキッカーの選手が楯に「お前はいいキッカーだから」と慰めてくれた。一緒に練習したとき、強い追い風を受けながらではあったが、60ydのFGを決めたのを覚えていてくれた。「ショックだったけど、彼の言葉でまた頑張ろうと思えました」