「時計製造の父」ブレゲ、超絶・複雑機構をなぜ作れたか 7代目が明かす歴史秘話
■「科学者」でありながら…美も追求
――当時の他の時計師たちも、何とかして重力による影響を減少させたいと思っていたのでは? 「アブラアン-ルイ・ブレゲの科学的なセンスと才能は突出していました。おそらく同じような発想をした人はいなかったでしょうね。彼は1801年にトゥールビヨンの特許を取得していますが、その100年後も、地球の重力から受ける時計への影響を補正しよう、という同様の発想は見当たりません。彼の発想は天才的であり、それを実現させるための数学や物理学の知見も深かった。いわば彼は科学者でもあったのです」 ――これだけ複雑な機構であるトゥールビヨンの開発には困難がつきまとったと思います。 「素材の調達が難しかったはずです。トゥールビヨンは脱進機と調速機という、時計を動かす心臓部のパーツをかご状のキャリッジにまとめて収納し、そのキャリッジごと回転させる仕組みです。こうすることで重力の影響を分散できるのです。しかし部品やキャリッジに使用する金属は、当時利用されていた素材では重さのバランスを取るのが大変だったようです」 「発想してから最初の原型ができるまで6年かかりました。技術的に完成してから特許を取得したのですが、その後、製品化までさらに6年かかり、発想してから販売にこぎつけるまで実に12年を要しました。もっとも彼自身は結構、楽観的な性格のようで、次々と新しいアイデアを思いついては実現に取り組んでいたようです。実際に作業を始めると困難に見舞われますが、途中で諦めることなく、最後までやり尽くしたそうです」 ――ブレゲの時計の美しさは格調が高く、眺めるたびにため息が出るほどです。天才的なひらめき、科学者的なアプローチに加え、美しさに対するセンスや造詣にも恵まれていたのでしょうか。 「彼にはデザイン的といいますか、芸術的なセンスがありましたね。彼が活躍する以前の時計といえば、デコラティブなものが多かったのですが、自らは繊細で落ち着いた美しさを追求しました。フランス語でいうソブル、控えめの美です」 「時計は第一に時刻をわかりやすく表示しなければいけないので、不要な装飾を省き、視認性を高め、シンプルな美しさをブレゲ独自のスタイルとして磨き上げました。これこそまさにエレガンスといっていいでしょう。そのスタイルは現代にまで引き継がれています」