なんと、駐車場から「イングランド王」の遺体が出てきた…!530年も「放置」されてきた遺骨を「個人特定」した衝撃の事実
消えた遺体の謎
リチャード3世は、薔薇戦争に終止符を打った1485年のボズワースの戦いにおいて落命したと伝えられている。 この戦におけるリチャード軍は総勢1万1000~1万2000人、対するヘンリー軍は5000~7000人だったといわれているが、劣勢だったヘンリー軍に援軍が現れたことで戦況は一変する。 やがて追い詰められたリチャード軍は戦意を喪失し、王を残して敗走したという。 討ち死にしたリチャード3世の亡骸は甲冑を脱がされ、衣服も剝(は)ぎ取られたうえで馬に乗せられて運ばれた。当時の慣習にしたがった「見せしめ」である。 遺体はその後、戦場にほど近いレスターの町にあるグレイフライヤーズ修道院(教会)に運ばれ、埋葬された。ところが、同教会は、宗教改革を断行したヘンリー8世の命によって解体され、リチャード3世の遺体はもちろん、埋葬された墓の正確な位置さえわからなくなってしまった。 掘り返された遺体が川に投げ捨てられたとか、橋のたもとに埋め直されたといった都市伝説が生まれたが、いずれも真偽のほどはわからなかった。遺体を収めていた棺が酒場にあるのを見た、といった珍妙な証言も歴史に残っている。
新たな展開
シェイクスピアによって異貌の悪役のイメージがすっかり定着したリチャード3世の物語が、新たな展開を迎えたのは2012年8月のことである。 きっかけは、古地図の詳細な解析によって、かつて教会が建っていた場所が特定されたことだった。その場所は2012年当時、公営の駐車場になっていた。 現存するリチャード3世協会、レスター市、レスター大学などが協力して駐車場を発掘したところ、頭蓋骨に複数の傷をもつ遺骨が見つかったのである。このニュースに、英国中が興奮した。 「消えた遺体が見つかった! これこそ、悪名高きリチャード3世の亡骸だ!」
現代生命科学の武器「DNA鑑定」
「駐車場の王様」は発見の翌年である2013年2月、世間の期待どおり、リチャード3世の遺骨に間違いないと断定された。 およそ530年も前の遺体を、どのように“個人特定”したのか? その有力な武器となったのが、「DNA鑑定」である。 DNA鑑定とは、DNAの個々人によって異なる部分を検査することで、個人を識別・特定するためにおこなわれる解析手法だ。犯罪捜査における犯人特定(あるいは冤罪の回避)や、親子関係の鑑定などに用いられるもので、ニュース等でもよく目にするようになってきた。
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