なんと、駐車場から「イングランド王」の遺体が出てきた…!530年も「放置」されてきた遺骨を「個人特定」した衝撃の事実
「キングメーカー」をめぐる人間模様
もう少し細かく、リチャード3世が即位し、やがて倒されるまでの経緯を追ってみよう。図「グロウスター公の家系図」は、本記事の主人公たちの家系図である。 即位する以前のリチャード3世は、グロウスター公リチャードとよばれていた。リチャード3世の2代前の王であるエドワード4世は、ともにヨーク公リチャード・プランタジネットを父にもつ長兄であり、「キングメーカー(王位請負人)」と称されたウォーリック伯リチャード・ネヴィルによって擁立された。 ウォーリック伯はまた、自らの長女であるイザベルを次兄のクラレンス公ジョージに嫁がせ、キングメーカーとしての権力基盤を整えていった。リチャード・ネヴィルに率いられたネヴィル一族の台頭は、エドワード4世にとって不満のタネであり、しだいに彼はウォーリック伯と距離をとるようになっていく。 やがて、ウォーリック伯の勧めるフランスとの縁談を断り、低い身分の出身で寡婦であったエリザベス・ウッドヴィルと結婚したのであった。
キングメーカーの没落と「護国卿」の誕生
エドワード4世はその後、気に入らないウォーリック伯を討ち取ってしまう。同時に王は、弟のクラレンス公が王位をうかがっているのではないかと疑いはじめた。そして、これを牽制するためにイザベルの妹であるアンをグロウスター公リチャードに嫁がせ、ウォーリック伯の所領をもリチャードに与えてしまったのである。 クラレンス公はその後、反逆の咎(とが)で処刑されたが、シェイクスピア劇においては、リチャードが長兄をそそのかしたことになっている。 盤石な王権を築いたかに見えたエドワード4世は40歳で急死し、その子エドワードが12歳で即位してエドワード5世となった。 幼い甥の即位を受けて、グロウスター公チャードは護国卿の地位に就いた。護国卿とは、王権に匹敵する最高統治権を認められた重職であり、王が幼年の時期や、あるいは執務遂行ができない状況にあるときの「後見人」としての役目を担うポジションである。
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