なんと、駐車場から「イングランド王」の遺体が出てきた…!530年も「放置」されてきた遺骨を「個人特定」した衝撃の事実
骨肉の争いをした歴代の王たち
2012年に英国レスター市の駐車場から掘り起こされた人骨、すなわち「駐車場の王様」は、リチャード3世の遺体とされ、全世界からの注目を集めることとなった。その正体を探る前に、この謎めいた国王をめぐる人物像を確認しておこう。 リチャード3世の物語を理解するには、図「プランタジネット朝の家系図」をご覧いただくのが手っ取り早い。 プランタジネット朝の始祖は、フランスの貴族であったアンジュー伯アンリである。1154年、このアンジュー伯アンリがイングランド王ヘンリー2世として即位したところから、同朝の歴史がはじまった。 ヘンリー2世から数えて5代目にあたる国王が、エドワード1世である[図「プランタジネット朝の家系図」に(1)として示す。以下、( )カッコ内の数字は同]。プランタジネット朝の最後の王が誰であるかについては複数の考え方があり、狭義では、エドワード黒太子の息子であるリチャード2世(4)までとしている。 そのリチャード2世を廃位して、新たに王座に就いたのがヘンリー4世である(5)。ヘンリー5世(6)、ヘンリー6世(7)とつづくこの王統は、エドワード3世(3)の子息であるランカスター公ジョン・オブ・ゴーントを始祖としてはじまることから、ランカスター朝とよばれている。 また、ヘンリー6世を廃位して、その後の国王となったエドワード4世(8)とその息子・エドワード5世(9)もまた、エドワード3世の系譜につらなっており、こちらはヨーク公エドマンドを祖にもつことからヨーク朝とよばれている。 ランカスター朝とヨーク朝が、ともにプランタジネット家の男系家系にあたることから、広義ではプランタジネット朝に含まれるとする考え方があり、その場合は、ヨーク朝最後の王であるリチャード3世(10)が、同時に、プランタジネット朝の最後の国王ということになる。 そのリチャード3世を討伐することで王位を得てテューダー朝を興(おこ)したのは、リッチモンド伯ヘンリー・テューダー、のちのヘンリー7世(11)である。 図「プランタジネット朝の家系図」からわかるとおり、テューダー朝は女系でプランタジネット家の血を引いている。現在のウィンザー朝にいたるまで、その後のすべての王朝も同様に、プランタジネット朝の女系親族にあたる家系がつづいている。 エドワード3世(3)には、長男であるエドワード黒太子のほかに、4男のランカスター公ジョン・オブ・ゴーント、5男のヨーク公エドマンドなどがいたわけだが、4男の系譜につらなるランカスター家(赤薔薇)と、5男の血を引くヨーク家(白薔薇)が争った王権闘争が、やがてリチャード3世が命を落とすこととなる「薔薇戦争」であった。
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