里親として血のつながらない子どもを17人育てた夫婦。「還暦のお祝い」「振袖の思い出」今はすべてが宝物【里親体験談】
児童養護施設の職員として出会い、結婚。アメリカの施設に憧れ、野口ホームを開設!
――ご夫婦の野口ホームの開設に至るまでの道のりを教えてください。 啓示 僕は学生時代に日本とアメリカで社会福祉学、とくに社会福祉における心理療法を学びました。卒業後は大学の先生になろうと考えていたんですね。ただずっと勉強だけして来て、福祉のリアルがまったくわからない状況だったので、まずは現場に飛び込もうと、友人から紹介してもらった児童養護施設に就職することとなりました。 ただ、本音を言うと、当時は1~2年勤めたら、アメリカに戻るつもりでいたんです。それが結局はトータル18年勤めました。その理由は2つあります。1つ目は働くうちに児童養護施設をもっといい環境にしたいという思いが強まったこと、2つ目に職場で妻と出会って結婚したことです。 ――野口ホームの開設はいつごろのことでしょう? 2003年に児童養護施設の分園として野口ホームが開設されました。それ以前も小さなグループで子どもたちを細やかにケアする小舎制養育やグループホーム養育など、当時では珍しい画期的養育に取り組んでいましたが、さらにもっと理想的な形は何だろう? と考えたときに出てきたのが、夫婦で養育する形だったのです。 もともとモデルとした施設があります。「ボーイズタウン」というアメリカのネブラスカ州にある巨大な施設です。広大なエリアに70戸くらいの家があって、その家すべてに別の夫婦が住んでいて、養育者として子どもを育てています。実際、このボーイズタウンには何度も訪問して学ぶ機会があり、同様の施設を作りたいと、勤め先に相談して生まれたのが野口ホームでした。 ――婦美子さんも同じ児童養護施設に勤めていたんですか? 婦美子 はい。私は児童福祉に興味があり、短大で幼児教育を学びました。そして卒業後、すぐに施設とご縁があり、保育士として採用されることになったんです。 当時の児童養護施設は戦後にできたときのままの旧態依然とした環境で…。子どもたちにもっと家庭的な環境で生活をさせてあげたいという思いがありました。 そうした中で夫と出会い、結婚することに。一旦は退職し、妊娠しにくかったので不妊治療を試みました。ただし、退職したと言っても施設内にある社宅に住んでいたので、家庭を求めている子どもたちが目の前にいる状況で。自分の子どもにこだわるよりも、この子たちの環境をもっとよくしていきたいと考え、治療はやめました。 そして施設に復帰するタイミングで、野口ホームを開設することに。私も「ボーイズタウン」の映画に、就職して2年目のときに出会ったのですが、そのころからすごくロマンを感じていたのです。こうして野口ホームが児童養護施設の分園として生まれましたが、2016年の退職時に里親登録し、ファミリーホームへと移行。それまでいた子どもたちの生活はとくに変わらなかったですが、私たちは職員から里親のお父さん・お母さんという立場になりました。