息抜きは「勉強」!?桐朋高3年・森井翔太郎「偏差値71の進学校からメジャー挑戦」
「指名のお断りを入れました」
〈日々これ決戦〉 〈友を愛し野球を愛せ〉 部室の壁には、歴代の部員たちが後輩へ寄せた高校生らしいメッセージが無数に書き込まれている。思い出の部屋でバットとグラブを手にするのは、桐朋高(東京都国立市)3年の森井翔太郎(17)だ。投手としては最速153㎞/hの速球を投げ、打者としては高校通算45本塁打を記録した二刀流選手。多くのNPB球団の注目株だった森井は今秋、大きな決断を下した。本人の言葉だ。 【画像】す、すごい…!肩甲骨が浮きでて『羽』が! 森井翔太郎の「素顔写真」 「10月のドラフト会議前に、NPBの12球団には『指名のお断り』を入れました。メジャー挑戦を決意したんです。最初はマイナーからのスタートになると思いますが、いずれは大舞台に立ちたいです」 桐朋高の偏差値は71で、今年は東京大に12人、早稲田大に69人、慶應大に86人の合格者を出している。都内屈指の進学校からメジャーに挑戦するのは極めて異例。前人未到のチャレンジをする森井が、自身の野球人生と壮大な夢を語る。 「野球を始めたのは桐朋学園小1年生の時でした。近所に住む1歳上の友人が野球をしていた影響で、軽い気持ちで始めたんです。所属していた『武蔵府中リトル』は何度も日本代表に選ばれ、米国を始め世界で戦う強豪チーム。子供の頃から自然とメジャーに興味を持っていました。投げるのも打つのも好きで、『どっちか捨てるのはもったいない』という気持ちから(二刀流を)やっていたんです」 ただ小学生の森井は身体が小さく、目立った選手ではなかったという。打者としてはパワー不足で、投手としてはコントロールがイマイチ。小学6年生の時には腰椎分離症(ようついぶんりしょう)という半年ほど運動が禁止されるケガをし、桐朋中では硬式でなく負担の少ない軟式野球部に所属した。 ◆「キレイじゃないな」 当時の森井の体形を見て、ヨガインストラクターの母親・純子さんは違和感を覚えたという。純子さんが振り返る。 「アスリートっぽくなかったんです。ずんぐりして猫背……。選手として『キレイじゃないな』という印象を受けました」 森井は純子さんの熱心な勧めで、ヨガを始める。ヨガは、ただ決められたポーズをとるだけではない。ポーズごとに身体のどこが中心で、どんな動きをすれば呼吸と連動できるか考えなければならない。再び森井の言葉だ。 「ヨガを始めてから、身体の動きを客観的に考えられるようになりました。バットをどう出せば打球の飛距離が伸び、どんな腕の動きをすれば速球のスピードが上がるのかと。週に3日、一日30分から1時間していたヨガのおかげで、より効率的に練習できるようになったんです」 さらに中学3年の冬から、純子さんと『野球ノート』を毎日つけるようになった。その数は8冊にのぼる。 「その日やった練習内容や、気づいた点などについての交換ノートです。感じたことを口にしてもすぐに忘れてしまいます。文字にすることで記憶に残る。さらにノートを見返して練習すれば、反省点が血となり肉となります」 ヨガや『野球ノート』の効果はテキメンだった。高校生になると打球は右翼87mの桐朋のグラウンドをはるかに超え、速球は150㎞/hをたびたびオーバー。『偏差値71のプロ注目選手』として、メディアを頻繁に賑わす存在となる。身体の柔軟性もズバ抜けていた。 「高校3年の春に、甲子園出場校を含む200校ほどが参加した運動具メーカー主催の体力測定があったんです。僕は右肩関節の柔らかさが全国2位でした。背筋も強く、肩甲骨が浮き出る『羽』という状態が作れます」 以前はNPBも視野に入れていたが、今はメジャー一本に絞っている。今年9月に、4泊6日のスケジュールでルーキーリーグやメジャーの試合を観戦。現地の雰囲気に触れ気持ちを固めたのだ。 「いくつかのメジャー球団から問い合わせをいただいています。1年目でシングルA、2年目でダブルAと階段を上がり、3~4年でメジャーの舞台に立つのが目標です。今は息抜きのような気持ちで英語を中心に勉強をしていますが、渡米したら100%野球に専念できる。自分がどれだけ成長できるか楽しみです」 森井の成績は桐朋高の中位で、難関私大を狙えるレベル。都内屈指の進学校の秀才が米国で伝説を作ろうとしている。 『FRIDAY』2024年12月6日号より
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