もう一つの東京五輪…審判への一部SNS批判もあるけれどカヌー競技の日本人審判はいかにして夢舞台を“ジャッジ”したのか?
開会式で宣誓をしたのは、陸上の山縣亮太と卓球の石川佳純だけではなかった。監督、コーチ、そして審判団を代表してサーフィンの加藤将門氏、水球の津崎明日美氏も宣誓した。 世界最高峰のアスリートが集まる五輪競技をそれにふさわしい舞台にするためには、競技に直接かかわる審判の役割は無視できない。 田中氏も「いい審判が、いいレースを作ると思います。競技を最高のレベルにするには審判全員が平等公平を守り、その審判技術も最高でなければならない。だから誤審やミスはできないという責任があります」という。 今大会ではメディアやSNSによる「疑惑判定」の指摘や「審判批判」も目につく。五輪は、国と国の戦いゆえに自国の選手が敗れた場合、それらの不満のエネルギーが、審判の判定に向けられる傾向にあり、特に中国など特定の国からの“ヒステリックな攻撃”がエスカレートしている。田中氏は、この問題について、こんな意見を持つ。 「五輪には最高レベルの審判が集まっています。ただそれぞれの国によって価値観が多少違うのでフェアプレー精神、ポリシーをしっかりと持っているかどうかが問題だと思います。機械で判定のできない採点競技では、なおさらそこを徹底しなければならないでしょう。しかし、僕は、そもそもSNSに出ている意見も誹謗中朝の類のものが含まれていて問題があると思っています。カヌーでは誤審が生まれないようなシステムになっているので批判の声はSNSなどで出ないし、フェアプレーの精神が疑わしい可能性のある審判は大事なレースからは外されています」 人が人を裁く以上、「誤審」や「疑惑」と呼ばれるグレーなジャッジが生まれることは避けられない。ただできる限りミスを減らすための管理体制が必要。そして田中氏が指摘するようにメディアやSNS上の批判の中身に問題があるケースも少なくない。
田中氏が審判に道に進んだのは今から17年ほど前だ。 カヌーを始めたのは島根大学。学生寮の先輩のソフトな口調に誘われカヌー部に入った。広大な宍道湖でパドルをこぎ、車にカヌーを積んで江の川の川下りをしているうちに競技の虜になった。 「どんなレベルでも練習すればするほど上手くなれるんです」 国体にも出場。卒業後も地元の大分でカヌーを続け44歳まで現役で競技に参加した。最高成績は、国体3位、日本選手権4位、NHK杯5位で競技者としては、とても五輪を狙えるようなレベルになかったが、40歳の頃、地元大分のカヌー協会から大分国体に合わせ「県内の審判を育てて欲しい」と要請を受け選手兼任で審判にトライした。 審判に必要なA級、審判養成の講習会を開けるJ級ライセンスを取得。だが、国内ライセンスでは、国際試合の審判はできない。今度は日本カヌー連盟から「国際審判は欧米が中心になっているので日本からも出したい」との要請があり、2010年にタイで開催された国際試合に合わせ、年に1度しかない国際試験を受験したが、最初は落ちた。筆記試験のすべてが英語で苦労した。 2013年に2度目の試験を受けて合格。その年、東京五輪の招致が決定し、「夢舞台に審判として参加したい」とも思ったが、「日本のカヌー界のためにも五輪で審判に選ばれなければならない」との責任感の方が強かった。 五輪の審判に指名されるには、世界選手権、ワールドカップの経験が必要になり、試合数などの規定がある。そこで誤審が目立つようでは除外される。田中氏は、世界選手権で2度、ワールドカップで1度審判を行ったが、誤審も少なく、その結果、田中氏と江見健二氏の2人が東京五輪の正式審判に選ばれた。 田中氏の本業は公務員。大分県の農林水産課のブランド推進課で仕事をしている。各国から集まっている審判のほぼすべてが他に仕事を持ち、元五輪選手や、学校教師、インストラクターなどがいてスペインの審判の本業は鉄道マン。田中氏は試合のときだけ特別休暇にしてもらえるが、後はない。今回も年休をまとまってとった。 最近では海外遠征費の半額を連盟が負担してくれるようになったが、それまではすべて本人の持ち出しだった。ちなみに今大会の日当は、まだ不明らしいが、これまでの国際大会の審判に対する日当は、1日1000円から3000円程度だという。 そこまでして全うする審判のやりがいとは何なのか。 「だって世界の最高峰のカヌーを特等席で見れるんですよ。こんな幸せなことはない」