上野由岐子が13年耐え再び花咲かせたソフトボールは本当に五輪から消滅するのか…2028年米ロス五輪で復活の可能性あり
東京五輪のソフトボール決勝が27日、横浜スタジアムで行われ、日本が米国を2―0で下し、2008年の北京五輪以来の“連覇”を果たした。ソフトボールは北京を最後に五輪競技から外され、東京五輪で復活したが、2024年のパリ五輪では再び競技から消えることが決定している。ただ2028年のロス五輪では野球と共に再び復活する可能性があり、海外メディアもそう報じた。13年越しにエースとして活躍した上野由岐子(39)は、そのとき46歳。鉄腕は、3度目の金メダルを手にすることができるのだろうか。
パリ五輪では除外
13年の時を経てそのマウンドには上野がいた。 6回先頭のモルトゥリーにレフト前ヒットを許すと、20歳、後藤希友のリリーフを仰いだが、ソフトボール独特の「リエントリー」のルールで最終回の7回に再登板。アウトを2つ取り、最後の打者をキャッチャーフライに打ち取り、マウンド近くに上野を中心に輪ができ全員が「ナンバーワン」を示す人差し指を横浜の夜空に突き立てた。 日本は4回に渥美万奈の執念の内野安打で先制、5回に“二刀流”藤田倭のライト前タイムリーで2点目を追加。6回には一死一、二塁のピンチを迎えたが、三塁の山本優が弾いた強烈なライナーをカバーに走っていたショート渥美がダイレクトキャッチし、そのまま飛び出した走者を二封するという奇跡の併殺プレーもあり、宿敵米国を下して13年越しとなる2つ目の金メダル奪取という悲願を成し遂げた。 今大会、4試合で389球を投げ抜いた上野は感無量。だが、再び次のパリ五輪からソフトボールが競技種目から除外されるという悲しい現実を突きつけられた。 インタビューでも「13年という年月を超えて最後に諦めなければ夢はかなうということをたくさんの方々に伝えられたと思う。次回からソフトボール競技はなくなるけど、またあきらめることなく前に進んでいきたいです」と、このことに触れた。 13年前の北京五輪では、表彰式を終えた後に、金メダルの日本、銀メダルの米国、銅メダルの豪州の選手たちが全員集まり、「バック!ソフトボール」と叫んだ。黄色いソフトボールの公式球で「2016」の大きな文字を作り、それを前に全員で写真を撮影した。 このときもすでにロンドン五輪で競技から外れることが決まっており、まだ競技種目が決定していなかった2016年リオ五輪での復活を願った。だが、その願いは叶わず、自国開催の東京まで13年間、待たされることになった。 IOCは、野球・ソフトボールが世界に幅広く普及していないことを問題視したのと同時に若者の“五輪離れ”に危機感を抱き、今回、新種目に採用されたスケートボード、サーフィン、3×3のバスケットなど若い世代に人気があるスポーツや都市型スポーツに目を向けているという流れがある。競技種目の肥大化には、限界があり、新種目を増やせば、どこかを削らねばならず、特に欧州では“不毛スポーツ”である野球・ソフトボールが、パリ五輪から再び除外された。 だが、これで永遠に五輪競技から消えるわけではない。野球・ソフトボールに復活の可能性はある。2028年の開催地は米国ロス。ソフトボールは、1996年のアトランタ五輪から正式種目となったが、米国が3連覇、北京、東京と2大会連続で決勝にも進み、米国の“お家芸”とも言える競技である。五輪の競技種目はIOC総会にて民主的に決定するが、実際は、かなり政治的で、今回の東京五輪同様、莫大な資金を投入して五輪を招致する主催国の意向をIOCがくみ取るという傾向があり、再び7年後にロスで復活する可能性は十分にあるのだ。