「地方には仕事がないから」だけでは説明できない…「貧しい街・東京」に若者を吸い寄せる"キラキラ感"の魔力
■東京が地方に「依存」している 一般的に「地方は東京に依存している」と揶揄されがちだが、実際には「東京は地方に依存している」と表現するほうが適切である。 東京は地方から若者を吸い上げて肥え太り、地方の発展や人口動態の先細りを加速させることをひきかえにして「豊かな街」を維持している。もちろん東京という街の豊かさは東京に移り住んだ若者たちに還元されているわけではなく、そこで暮らす金持ちの皆さんの金融所得や不動産所得(あるいは地方に交付される助成金・補助金)に変わっているわけだ。 政府がなぜ東京都心部の大学の入学定員を規制したか。それをなぜ「地方創生」の文脈で実施したか。これでもうお分かりだろう。大学進学率が高まった現代社会において、東京に散在する(有名)大学群こそが事実上の“ストロー”のようになっているからだ。大学が東京にあることで、それが地方から若者を吸い上げるパイプラインの役割を果たしてしまっているからだ。 ■だれでも包摂する「おおらかさ」が東京にはある 東京は若者にとって日本でもっとも魅力的な街のひとつだが、若者たちにとってはもっとも貧しい暮らしを強いる街のひとつでもある。東京の見た目上の豊かさは一部の人に独占されていて、安い労働力として搾取される人びとはライフステージの「先」を描くことすらできない。言い換えれば、東京はそういう「先の見えない若者」を大量生産することによって、表面的な華やかさを維持しているのだ。 それでも東京に来たがる人が後を絶たない理由もわかる。必ずしもお金の問題ではないのだ。故郷の街の気候とか風土とか文化とか人間関係とか、そういうのがイヤで、いちど「まっさら」にリセットしたくて東京にやってくる人も少なくない。見方をかえれば、東京はなんらかの理由で地元にいられなくなった人でも温かく包摂する。そういう大らかさを持っているともいえる。
■日本の治安は再び悪化トレンドに入った 「日本の治安は(体感に反して)年々改善していて、刑法犯の件数で見ても減少している」――といった説もよく聞く話だが、そろそろアップデートが必要になってきている。というのも、じつは数年前から犯罪の件数は再び全国的に増加傾向に転じているからだ(※警察庁「令和5年の犯罪情勢」)。 全国的に詐欺が急増しているほか、都内では最近メディアでもクローズアップされている押し入り強盗の増加が著しい。若年犯罪も減少トレンドがついに反転してしまった。さすがに他の世界的な大都市――ロサンゼルスやニューヨークなど――には現時点では程遠いが、しかし東京もまた「先の見えない若者」を大量生産するメガロポリスであり、その「先の見えなさ」は犯罪行為に奔(はし)るハードルを低くしてしまう。 ■「東京」という街は想像以上に人を「呑み」にかかる これから人の親になる者、あるいは年頃の子どもを持つ親たちには、私は伝えるようにしている。この「東京」という街が、想像以上に人びとを「呑み」にかかる街であることを。 今日この記事を読んでくださった読者のなかには、今年の年末に地元へと帰省する人がいるかもしれない。あるいは、帰省してくる子や孫を迎える立場の人もいるかもしれない。自分自身が、あるいは自分の大切な人がこの「東京」という街とかかわっているなら、この街の美しさと残酷さをどちらも知っておくべきだ。 見た目上の華やかさや新奇性はさながら誘蛾灯のようで、集まってきた若者たちを根こそぎかっさらい、問答無用で資本主義の「駒」として行動するように再構築する。生活のなかでとにかく金がかかるように仕向けるし、やたらと金がかかって貯えられず身動きが取れないような状況をつくりだす工夫を十重二十重(とえはたえ)に張り巡らせている。いつまでもそういう存在でいてくれたほうが、もともと豊かな人にとっては好都合だからだ。 最後にもう一度だけ強調しよう。東京は「貧しい街」である。その「貧しさ」を覆い隠すほどの華やかな光が放たれているだけで。 たくさんの人がさまざまな思いを抱えながら集まるから、東京は年の瀬もいっそうまぶしくなる。 ---------- 御田寺 圭(みたてら・けい) 文筆家・ラジオパーソナリティー 会社員として働くかたわら、「テラケイ」「白饅頭」名義でインターネットを中心に、家族・労働・人間関係などをはじめとする広範な社会問題についての言論活動を行う。「SYNODOS(シノドス)」などに寄稿。「note」での連載をまとめた初の著作『矛盾社会序説』(イースト・プレス)を2018年11月に刊行。近著に『ただしさに殺されないために』(大和書房)。「白饅頭note」はこちら。 ----------
文筆家・ラジオパーソナリティー 御田寺 圭