森見登美彦「自身のスランプをホームズの苦悩に投影させ、書き上げたことで区切りがついた」
◆毎日の習慣の中で気分転換をする 執筆は内にこもる作業なだけに、つい根を詰めてしまう場合も多い。ベストセラー作家として活躍する森見さんは、日常に添う形で無理なく気分転換を図っているという。 僕はあまり趣味がなくて、オン・オフの区別も曖昧なほうなんです。でも、奈良と京都に仕事場があって、2拠点を行ったりきたりすることが気分転換になっています。 あるいは取材で東京に行ったり、編集者の方に会ったりする時間も、気持ちを切り替えるきっかけになりますね。あとは、本を読んだり映画を観たり、友達と旅行に行くくらいかな。 散歩は毎日しています。近場を30~40分歩く日が多いですが、近所にある生駒山に登ることもあります。コロナ禍がきっかけでしばらく登山の習慣が途切れてしまったのですが、それ以前は月に1度は登り、山の中腹にある寳山寺というお寺をお参りしていました。 特定の趣味というよりは、毎日の習慣や公私含む人付き合いの中で気分転換をしている感じです。
◆ヴィクトリア朝京都 京都と奈良はどちらも好きで、自著の小説の舞台としてもたびたび登場します。特に京都は土地が強いので、小説を書く上ではすごく助けられていますね。 今作の舞台は「ヴィクトリア朝京都」という架空の世界ですが、それも京都パワーのおかげで成り立ったものだと思っています。 そもそも、「ヴィクトリア朝京都」という言葉を思いついたのが今作執筆に至るきっかけだったんです。これまで京都を舞台にした小説は散々書いてきたので、何か違うアレンジができないかなと思っていて。 やがてロンドンと京都がごちゃ混ぜになったヴィクトリア朝京都の世界観にたどり着き、そこからイメージを膨らませていきました。
◆大学時代に研究していた“竹”の存在を活かす 本作には、とある屋敷の敷地内に広がる竹林を手入れする男性・ウィリアム氏が登場する。彼の存在は、本書に散りばめられた謎を解く1つの手がかりとなるのだが、彼が住まう“竹林”の描写が仔細にわたる点にも注目したい。 大学時代、農学部の研究室で「竹」の研究をしていた時期があったんです。竹を分解してタンパク質を抽出したりしていました。以前、『美女と竹林』というエッセイを連載していたのですが、そこでは実際に洛西の竹林を手入れした経験や、研究室時代の思い出を書いています。 子どもの頃から、竹林に対して不思議な印象がありました。家の近所にも竹林があって、そこは別世界とつながっている感覚があって。 竹は、普通の植物と少し印象が違いますよね。きれいなのに不気味で、『竹取物語』が書かれた理由にも合点がいきます。竹の向こうが異世界に通じているような雰囲気が、“月”に置き換えられて「かぐや姫」の存在が生まれたんだろうなと思うんですよ。 今回の作品にも、竹林の描写が登場します。「シャーロック・ホームズと竹林」の絵面は、それだけでインパクトがありますよね。 大都会ロンドンにいるはずのホームズが、なぜか竹藪にいる。しかも、隠居して竹林の手入れに精を出している。その違和感が面白い。改めて、ホームズのキャラクターの使い勝手の良さを実感しています。