「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(12)――誕生日文化と命日文化(上)
そもそも、人はなぜ年を数えるのでしょうか。令和時代がスタートし、元号という年の数え方に注目が集まっている今だからこそ、人がどのような方法で年を数えてきたのか、それにはどのような意味があるのかについて考えてみるのはいかがでしょうか。 長年、「歴史における時間」について考察し、研究を進めてきた佐藤正幸・山梨大学名誉教授(歴史理論)による「年を数える」ことをテーマとした連載「ホモ・ヒストリクスは年を数える」では、「年を数える」という人間特有の知的行為について、新しい見方を提示していきます。 第4シリーズとなる第12回、第13回は、誕生日と命日のとらえ方の文化による違いがテーマです。
誕生日を祝うということ
日本で誕生日のお祝いが普及し始めたのは、1949(昭和24)年以降だ。 小学校のホームルームで「今月が誕生日の人:ハッピー・バースデー」を導入したのが始まりである。今振り返ってみると、一人一人に自分の誕生日があり、実年齢は皆それぞれに異なることを教えたという意味では、アメリカの戦後占領政策の一環であった。 民主主義の根幹にある一人一票の投票権行使は、個人の年齢が特定されて初めて可能となるからである。日本における誕生日文化の誕生といえる。 それ以前の日本では、国民全員が1月1日にそろって一つ年をとる、という文化を持っていた。だからこそ元日は大切な日なのであり、家族そろって祝いの膳を囲む静謐(せいひつ)の日であった。 欧米のキリスト教文化が、1月1日の前夜から祝杯を挙げ、花火を打ち上げて大騒ぎするのとは異なる。 キリスト教文化では、元日より8日前の12月24日は家族そろって静かで落ち着いた夜を過ごし、翌12月25日は皆で教会に行きイエス・キリストの誕生日を祝う、静謐な日なのと対照的である。 それでも、誕生を、お祭り騒ぎではなく、厳粛かつ静謐に祝うところが両者に共通していて興味深い。