「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(12)――誕生日文化と命日文化(上)
死んだ日を重要視する文化
一方、「人は死後、個別的に年を取る」とはどのようなことか。 日本では、死亡した月は祥月(しょうつき)といわれ、一周忌以後、死亡した月日(祥月命日)に墓参し仏事を行う習慣がある。そして、現在でも、その習慣は一部の地域で残っている。 日本の文化は、人が死んだ日(命日)を重要視する文化だからである。死後は、その亡くなった故人を「個人として」偲んで、一周忌・三回忌・七回忌・十三回忌…三十三回忌と法要が行われる。この年忌法要の形式は宗派や地域により異なるが、死後は、故人を「個人として」偲ぶ集まりであることは共通している。 この没後紀年は、ごく自然のこととして、日本文化に根付いている。個々人の誕生日が祝われるようになった現在でも、依然として続いている。 これに加えて日本では、旧暦の7月15日を中心に行われる盂蘭盆会(うらぼんえ)という行事がある。これは、それぞれの家庭が先祖の霊を自宅の仏壇に招いて供養するものである。以下で説明するキリスト教の万霊節に共通する発想ともいえる。
キリスト教社会の万霊節
一般的に、キリスト教社会では、死者は、11月2日にそれぞれの所属する教会ごとに追悼の儀式を行う。この死者の日は、別名、万霊節All Soul's Dayと言う。キリスト教では全ての死者の魂のために祈りを捧げる日である。 ちなみに万霊節の前日の11月1日は、カトリック教会では、万聖節All Saints' Dayと呼ばれ、すべての聖人に祈りを捧げる日である。キリスト教では、宗派のいかんにかかわらず、死者を追悼する日は同じである。 ドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)が若き日に作曲した作品に「万霊節Allerseelen」(1885)と名付けられた名曲がある。ヘルマン・フォン・ギルム(Hermann von Gilm)の詞に曲をつけたものであるが、そのなかに、Ein Tag im Jahre ist ja den Toten frei, Komm an mein Herz, dass ich dich wieder habe(一年に一日死者には自由があるのです。私の心に戻ってきて下さればまたお会いできるのに)という一節がある。 死者と生者の向き合い方は、それぞれの文化の基底を構成しているのだ。(興味のある方はYouTubeで、Allerseelen, R. Straussと検索して視聴してほしい)