「ホモ・ヒストリクスは年を数える」(12)――誕生日文化と命日文化(上)
ラテガン教授の慧眼
南アフリカにあるステレンボッシュ大学のラテガン教授を数年前、日本に招聘したときのことである。 歴史哲学と歴史神学を研究しているラテガン教授を、講演の後、仏教寺院に連れて行った。欧米諸国のカトリック教会の墓と、日本の仏教寺院の墓とが、個人の墓地ではなく家族の墓地を基本にしていることを紹介したかったからだ。 宗教施設が死者を埋葬するという行為は、決して世界普遍ではないのである。 いくつかの墓に卒塔婆(そとうば)がたてかけてあるのを見たラテガン教授は、「これは何なのか」と私に聞いてきた。私は、「日本仏教では、死者の命日にその家族が墓前にお参りし、卒塔婆と呼ばれるこの細長い板に経文を書いて、故人を供養する習慣がある」と答えた。 すると、ラテガン教授はこう口にした。「日本人は、生きている間は集団的に年を取るが、死後は、一人一人が個別的に年を取る。ヨーロッパでは、人は生きている間は個別的に年を取るが、死後は集団的に年を取る」 ラテガン教授のこの意表を突く指摘は、長く私の記憶に沈潜していたが、「人はいかにして年を数えるか」という紀年認識の問題を考え始めた時、突如私の頭に蘇ったのである。
数え年とは何か
ここで「集団的に年を取る」とはいかなる意味か説明したい。 日本人は、伝統的に、1月1日に全員一斉に年を取った。個々の人の誕生日は存在するが、その人が実際に生まれた年月日を基準に数えるのではなく、1月1日に日本人全員が一斉に年を取るというシステムだったからだ。 この年齢の数え方を「数え年」という。実例で示してみたい。例えば、2013年12月5日生まれの人の数え年の計算は次のようになる。まず誕生日の12月5日に1歳となる。生まれた時点で1歳である。翌年の1月1日、つまり元日になると、国民全員が一斉に一つ年を取るので、2014年1月1日からは2歳となる。3歳になるのは、翌年の2015年1月1日である。 故に、1月1日、つまり元日は、日本人全員にとって、重要な日というわけだ。