「つまらん人生でした」…戦後、子どもたちに「戦犯」と呼ばれ石を投げられた「零戦搭乗員」が晩年に語った「意外な本音」
奇襲作戦の全貌
発艦時刻は「X日」(攻撃決行日)の午前1時30分。ちなみに、旧海軍の作戦上の時刻表記は、どれほど時差があるところでも日本時間が使われる。発艦後は各空母の周囲を旋回しつつ、高度500メートルで集合していく。集合が終ったら高度を上げ、決められた隊形、高度、速度で真珠湾に向かう。 〈進撃 (イ)基準針路一八〇度(注:真南)(ロ)基準高度三〇〇〇米(注:メートル)(ハ)気速125節(注:ノット。時速約235キロ)(ニ)隊形〉 などや、各隊の高度差、オアフ島北端のカフク岬の30度(北東)30浬(約56キロ)で総指揮官が「號龍一發」(信号弾1発)を撃って「突撃準備隊形制レ」を知らせるなど、必要なことがこと細かに定められている。 また、〈五.突撃〉には、〈總指揮官機カネオヘ湾上空附近ニ達シ敵所在を確認スルニ至ラバ「全軍突撃セヨ」(ト連送)ヲ下令〉(注:ト連送は、モールス信号の「ト」・・―・・を繰り返す)し、奇襲に成功した場合は雷撃隊、水平爆撃隊、急降下爆撃隊の順に攻撃に入り、制空隊はそれを掩護する。敵の警戒が厳重で強襲になった場合は、制空隊、急降下爆撃隊、水平爆撃隊、雷撃隊の順に突入し、時間を置かずに攻撃するとある。ほかに「接敵」「突撃」「目標の配分」「避退集合帰投」など、こまごまと定められているが、あまりに煩雑になるのでここでは省く。
場面ごとの指示
次の書類は、「機密第一次発進部隊第三集団(注:零戦隊)命令作第一號」で、零戦隊の動きについて。興味深いのは、重い魚雷や爆弾を積み、速度の遅い攻撃隊のスピードに合わせて飛ぶのが困難ならば、編隊の外側を旋回して調節せよ、というくだりである。各空母零戦隊ごとの攻撃目標、帰投用の電波の周波数〈制空隊電波 四五九五〉も決められている。 三つ目の書類は、〈第一次發進部隊第三集団打合セ事項覚書〉で、11月24日、旗艦赤城で打ち合わせがされた零戦隊の編隊の組み方、空戦がなく地上銃撃だけのときは増槽(航続距離を延ばすための落下式燃料タンク)はつけたまま地上銃撃をすることなど、より詳しい戦闘要領が記されたもの。 そして四つめの書類は、11月25日付の「第二次発進部隊命令」である。この第二次発進部隊制空隊(零戦隊)指揮官こそが、これらの書類を遺した進藤三郎大尉だ。 第二次発進部隊には雷撃隊はなく、攻撃目標は水平爆撃隊(250キロ爆弾、60キロ爆弾装備)は飛行場の格納庫と敵機、急降下爆撃隊(250キロ爆弾)は敵飛行場と第一次で撃ちもらした敵艦を狙う。また、進撃途中で日本側の艦隊を攻撃に行くとおぼしき敵機を発見した場合は〈制空隊ノ一部又ハ全部ヲ之ニ指向ス〉とある。また途中で敵艦隊と遭遇した場合は急降下爆撃隊の一部をもってこれを攻撃することとなっていた。