古代日本列島の外交と海外情報の入手事情 渡来人が日本にもたらしたものとは?
日本列島の古代国家が当時の東アジアの政治事情をよく知っていて、使者を使わして国交を開いたり、不穏な大陸情報を根拠にして防衛体制を整えたりしていることがわかります。それにしても通信手段の無い古代に、どんな方法で海の向こうの最新情報を正確に入手していたのでしょうか? ■古代日本ではどのように大陸の情報を手に入れていた? 日本列島が倭と呼ばれた時代から、大陸や朝鮮半島の政治事情をよく知っていたのではないかと考えられていますし、そうとしか思えない状況があります。 邪馬台国の卑弥呼が魏国に使者を遣わしたタイミングも、大陸と半島の政治状況を知ってのことだと考える説があります。 ただ現代の私たちと違って通信手段も無く、日本海を往復するだけでも非常に大きなロスとリスクを計算に入れなければならない時代なので、そう簡単な情報入手ではなかったはずです。とにかく人が往来しなければ情報も文化も知る由がありませんし、日本列島の住民にとって、窓口となり得る血縁も知己も無い先進大陸国家との交渉はなかなか実現できなかったのではないかとも想像します。 最新のテクノロジーで解析されつつある人ゲノムの研究では、弥生時代や古墳時代にはこれまでの想像以上に多くの人々が、大陸や半島から来ていることが判明しつつあるという大きな成果があります。つまり情報を取りに行かなくても移住者が最新の情報を豊富にもたらしてくれた可能性が考えられます。また故地に残してきた血縁や友人知己も次々に渡来して、続報をもたらしてくれたでしょう。 移住者がやって来る最大の理由は地球の寒冷化であるとか、中国大陸朝鮮半島での戦乱が列島に人々を移動させたとか、さまざまな仮説がゲノムの研究から新たに提出されていますが、研究中とはいえこれは動かぬ証拠ともいえる重要な結論を導き出すでしょう。 人が移住してくるという事は、文化や習慣も一緒に渡来します。弥生期の渡来人は元寇の役のような大軍団で占領に来たわけではありませんから、少数の一族や家族単位で、長い期間にわたって何度も何度も日本海側にたどり着いたと思われます。渡来人の漂着があると、地元住民や弥生の邑国は彼らから重要な情報を入手したのでしょう。 ただそれだけではなく病原菌やウィルスも持ち込みますので、抗体を持たない列島住民はバタバタと倒れたかもしれません。しかしながら新たな移住者から得る最新の大陸情報には大きなメリットがあったはずです。 このように古代の海外情報は渡来人によってもたらされたので、わざわざ取りに行く必要はなかったと考えられます。 そうであれば列島住民は渡海のリスクを負うことも無く最新情報を知りえたという事になります。また同時に弥生期以降の渡来者がいかに多く、いかに長い期間にわたってやって来たかがわかります。そうして聞き取った情報をつなぎ合わせて、日本列島に居ながらにしてかなりの事柄を知りえたのでしょう。 そうした準備をしっかり整えて、満を持して大陸や半島に向けて渡海したのだと思えます。列島から訪問するときの窓口として、故地に残している親族や知人を紹介もされたことでしょう。 改めてそう考えれば縄文時代とは違って、渡来人が増え始める弥生期以降は大陸や半島情勢をよく知っていた可能性が高いと考えられるのです。 もともと縄文人の時代から航海技術を持っていた列島人は、渡来人の海路情報を参考にして航路の開拓もしたでしょう。 弥生期の線刻画や古墳時代の遺跡から出土する形象埴輪には船を象った物をよく見かけます。日本列島に住む人々にとって日本海を渡ることは実に重要なチャレンジだったことがわかりますし、外洋航路を行き来するプロフェッショナルな集団が海沿いに大勢いたことも当然考えられます。 現代は自宅にいながら世界中の最新情報を誰でも簡単に入手できる時代ですが、古代人にとって命がけで入手した外国の最新情報はどれほど貴重なものだったでしょうか! 今以上に人のつながりと情報の出どころを大切にしていたのかもしれません。 そう考えると、どこの誰が発信したかがわからない情報を鵜呑みにしがちな現代人は、少し反省しなければならないかもしれませんね~。
柏木 宏之