「セクシー田中さん」の報告書に決定的に欠けている“問題の本質”
これに対してドラマを制作するテレビ局はビジネスとしては薄利です。ビジネスを維持するためには毎クールごとに5つのドラマ枠を視聴率のとれるドラマ企画で埋めていかなければなりません。収入は放送時のスポンサー収入が主で、それに近年では動画配信での再利用収入が加わりますが、『あぶない刑事』など一部の大ヒットしたドラマを除けばドラマからの利益はその程度です。 つまり漫画というIPにとってはテレビ局が加えてくれる付加価値が絶大な一方で、テレビ局にとってはドラマ化はルーチンワークの位置づけにあるのです。出版社がテレビ局のおかげで無形資産の価値が大きくなる一方で、テレビ局は出版社の無形資産の許諾を受けても仕事がひとつ前に進むだけだと事情を言い換えてもいいかもしれません。
そう考えると『セクシー田中さん』のドラマ化の提案があったことは小学館にとって重要なプロジェクトであったことが理解できます。 どちらの報告書にも書かれていることですが、ドラマ化の最初の会合で小学館側は日テレ側に原作者について「作品の世界観を守るために細かな指示をする所謂『難しい作家』である」と伝えています。小学館側の編集者と契約担当者はともに、過去の原作者の映像化の経験から、今回も大きな手間が発生することを想定していて、それを日テレに伝えていたのです。
一方で日テレはこの段階ではそれほどのことだと伝えられた認識はもっていなかったと報告書に記載されています。将来のトラブルを回避するために「これから大変になるよ」と予告しておいて、徐々に大変にしていく。小学館の側からみればプロジェクトマネジメントとしては重要なノウハウです。 そして実際にドラマ化のプロセスが始まると、関係者はその「大変さ」に巻き込まれていきます。中でも費用に見合わない仕事をさせられたのは原作者と脚本家、そしてドラマ制作会社の演出や助監督ではないでしょうか。一方は原作の世界観を守ろうと漫画を描く時間以外に大きな時間をプロットのチェックに割くことになり、もう一方は限られた予算でよりよいドラマを成立させるために集まって知恵をひねり出します。