山ちゃん創業者急死 カリスマの遺志継ぐ妻、社長と名乗らず 改革で最高益
■突然の別れ
いつもと変わらない一日が始まるはずだった。 2016年8月21日朝、自宅のリビングで倒れていた「世界の山ちゃん」創業者の山本重雄さんを、妻の久美さん(57)が発見した。重雄さんはまだ59歳で、前日まで店の調理場に立って新メニューの試作に励んでいた。あまりにも突然の別れだった。 重雄さんは24歳で創業し、運営会社エスワイフードを30年以上、引っ張り続けたカリスマ経営者だった。実家が裕福ではなく、「飲食店はもうかる」と聞いて起業を決意したという。開店当初はほぼ無休で働き、手作りのビラを配って店を売り込む日々を送った。 経営が軌道に乗っても仕事第一で、ブランド品や派手な遊びには一切興味がなかった。00年に結婚して家族ができても、上下ふぞろいのジャージー姿で外出しようとして、久美さんが注意することもあった。「僕は24時間、会社のことを考えている」が口癖だった。 重雄さんの告別式の日には、年中無休が基本の山ちゃんで多くの店舗が臨時休業し、従業員が在りし日の重雄さんを惜しんだ。久美さんは「穏やかで優しい性格で、みんなに愛された。本当に幸せな人だった」と振り返る。
■「立派な変人たれ」
生前、重雄さんは家庭で仕事の話をしなかったが、専業主婦の久美さんに時折悩みを打ち明けていた。04年に鳥インフルエンザの影響で輸入鶏肉が入らなくなった際には、「次の店は、山ちゃんではなく魚中心の『かわちゃん』にするか」と半ば本気で言っていた。 その重雄さんが亡くなる1、2年前、気にかけたのが事業承継の問題だった。M&A(合併・買収)を通じて外部に経営権を譲渡する方法もあったが、重雄さんは否定的だった。「立派な変人たれ」を社是に掲げる、ユニークな会社を守るためだった。 営業成績などを共有する社員総会の場でも自然と笑いが起こり、かつてはみんなで社歌まで歌った。風変わりな会社の雰囲気に、愛着を持つ従業員は多かった。M&Aで社風が変われば、従業員の離職が増える可能性もある。重雄さんの遺志を、久美さんは理解していた。 M&Aを選ばない以上、身内からトップを探す必要があった。だが3人の子供は幼く、幹部の素質も分からない。ならば、素人でも自分がやるしかない。 16年9月の経営方針発表会で、久美さんは社員や取引先ら200人に「力を貸してください」と頭を下げ、代表取締役就任を表明した。重雄さんのようなトップにはなれないと、あえて「社長」とは名乗らなかった。