紫式部「アラサーで夫と死別」幼い娘との壮絶経験 気持ちがすれ違う中で起きた悲しい出来事
今年の大河ドラマ『光る君へ』は、紫式部が主人公。主役を吉高由里子さんが務めています。今回は紫式部と夫の藤原宣孝との悲しいエピソードを紹介します。 著者フォローをすると、連載の新しい記事が公開されたときにお知らせメールが届きます。 平安時代中期の作家・紫式部を「悲劇の女性」だと表現すると、意外に思う人もいるかもしれません。 【写真】夫との死別後に、紫式部は『源氏物語』を完成させた。写真は京都市にある源氏物語の石像。 『源氏物語』を執筆して穏やかに暮らしていたという印象を持つ人もいるでしょうし、何より紫式部の人生自体がそれほど知られているわけではないので「悲劇も何もわからない」という人もいるでしょう。なぜ紫式部は、悲劇の女性だと言われているのでしょうか。
■50歳目前の宣孝と結婚した紫式部 紫式部は20代の後半のころに、50歳を目前にした貴族の藤原宣孝と結婚します。新婚早々、これまで紫式部が宣孝に宛てた手紙を宣孝が他人に見せたことで、2人は大喧嘩をしたものの、宣孝が折れたことで喧嘩は収束しました。 その後長保元(999年)年には、宣孝との間に、賢子という女の子が生まれたとされます。 幸せな生活が続いていくのかと思いきや、紫式部が詠んだ歌を見てみると、どうやらそうでもないようです。
「しののめの空霧り渡りいつしかと 秋のけしきに世はなりにけり」(夜明けの空も霧が立ち込めて、早くも秋の景色となりました。あなたは早くも私に飽きたようですね)と詠んでいるのです。 これは宣孝から送られてきた歌「うち忍びなげき明かせばしののめの ほがらかにだに夢を見ぬかな」(ため息をついて夜明かしをしたので、夜明けに懐かしいあなたの夢も見ることができなかった)への返歌です。 これらの歌からは、夫の宣孝が紫式部のもとに通う頻度が減っていたことがわかります。
■夫の浮気を疑い悲しみに暮れる また紫式部の別の歌には「横目をもゆめと言ひしは誰なれや 秋の月にもいかでかはみし」というものもあります。 「私(宣孝)も決して浮気などして、お前(紫式部)に心配をかけないからと仰ったのはどなたでしたか。私がどうして秋の月を眺めて夜を明かしたのか、あなたはおわかりですね」ということを意味しています。 どうやら紫式部は夫の浮気を疑っているようです、いや確信しているようにも思えます。