「セクシー田中さん」の報告書に決定的に欠けている“問題の本質”
■浮かび上がる別の対立構造 こう構造を俯瞰するとこの問題は、必死で良いものを生み出そうとしている労働者と、そこから大きな利益を得ようと考えている資本家の対立構造に絵柄を描きかえることができます。小学館と日テレが実は資本家としてひとつのかたまりを構成していて、編集者とプロデューサーはそれぞれ資本家の代理人。原作者と脚本家、制作会社スタッフというクリエイターたちがそれと対立するもうひとつのかたまりという構図です。
そしてこの構図のなかで、資本側の小学館と日テレは「ドラマを成立させたい」という思惑で一致します。出版社は一見、原作者のエージェントの立場であるように見えて、利害関係ではテレビ局寄りの立場をとる力学が生まれるのです。その一方で労働者サイドのよりよいものを作り上げようとする人と人の間が分断されていることで、敵の誤認が起きます。 SNSでの批判では原作者の意図が制作側に伝わっていないことが批判されましたが、実はその逆に日テレのプロデューサーも編集者側に「改変は脚本家だけが提案しているのではなく、チームで考えて案を出している」と伝えています。どちらのメッセージも資本家経由で細いパイプでつながった先にいた労働者にはなぜか伝わりません。
原作者にとっては脚本家が問題だという認識が強まり、最後の最後に降板要請として爆発します。そして脚本家は自分が攻撃されたことに気づきSNSで反撃します。それに対抗する原作者のSNSでのアンサーで、脚本家は壊滅的に炎上します。同じクリエイター同士が、ないしは同じ労働者同士がわかりあえずに戦ってしまったのです。 ■報告書からはわからないこと さて最後になりますが、よく国が開示する報告書が黒塗りになっていることがあります。今回の小学館の報告書には黒塗りではありませんが、意図的なのか多くを調べていない箇所があります。今年1月26日に原作者がXに「アンサー」を投稿し、脚本家への非難が集中した直後の部分です。