ジョシュ・バーネットも興奮した国立競技場9万人の熱狂。「Dynamite!を超える大会はアメリカでも開催できない」
【連載・1993年の格闘技ビッグバン!】第30回立ち技格闘技の雄、K-1。世界のMMA(総合格闘技)をリードするUFC。UWF系から本格的なMMAに発展したパンクラス。これらはすべて1993年にスタートした。後の爆発的なブームへとつながるこの時代、格闘技界では何が起きていたのか――。 【写真】ノゲイラを担ぎ上げる全盛期のボブ・サップ ■「ファイターだったら一度は目にしたい光景」 あの夏、ジョシュ・バーネットは日本の屋外会場で見た光景を忘れることができない。目の前には選手の登場を待つ9万人以上の観客の熱狂が渦巻いていた。 舞台は2002年8月28日、東京・国立競技場で開催された『史上最大の格闘技ワールドカップ Dynamite!』。このとき、ジョシュは〝柔術マジシャン〟アントニオ・ホドリゴ・ノゲイラと闘うボブ・サップのセコンドとして来日した。 この年の春、日本でデビューしたサップはPRIDEとK-1を股にかけた活躍で、底知れぬポテンシャルを秘めた存在として幻想が膨らんでいた。 サップの入場テーマ曲で、映画『2001年宇宙の旅』で有名な『ツァラトゥストラはかく語りき』が鳴り響くと、階上に設置されたゴンドラにスポットライトが当たった。写真や映像を見返すと、中央に陣取るサップの後方にジョシュの姿を確認できる。 当時24歳だったジョシュは自分が乗ったゴンドラのこともハッキリと覚えている。「巨体のファイターばかりが乗っていたからね。壊れなくて良かったよ(笑)」 K-1がスタートしてちょうど10年、日本の格闘技マーケットはピークを迎えようとしていた。今まで味わったことのない幾重にも重なり合った観客の声援に、ジョシュは胸の高鳴りを抑えきれなかった。 「ファイターだったら、現役中に絶対一度は目にしたい光景だった」 あれから二十数年、格闘技マーケットにおける日本とアメリカの立ち位置は大きく変わった。『Dynamite!』が開催されていた時期は間違いなく日本を中心に世界の格闘技マーケットは回っていた。しかし、K-1とPRIDEが衰退すると同時に、マーケットの中心はUFCが活動の拠点とするアメリカに取って替わられた。 ジョシュは、「いまやアメリカのファイトマネーは日本と比べると桁違いになっている」とため息をつく。 「でも、あの時代の日本の格闘技を見ていると、『自分がいるべき場所は日本だった』と強く感じるんだ。あのときの『Dynamite!』の会場にいたら、たとえアメリカのファイトマネーが莫大なものになったとしても、あの大会を超える大会がアメリカで開催できるとは思えない」 2000年代、日本のMMAの試合場はロープに囲まれた正方形のリングが主流で、オクタゴンなどケージ(金網)が流行る気配はなかった。筆者のような昭和世代から見ると、ケージに囲まれた舞台はどうしても金網デスマッチの凄惨な流血シーンを想起してしまうからだろうか。